『映画館のつくり方』


 小泉秀樹さんからコミュニティシネマの相談を受けて、『映画館(ミニシアター)のつくり方』を読んだ。
 ミニシアターというのは、50〜100座席ぐらいの規模で、東宝や松竹などの系列に属さず、単館(独立)系の映画を上映するところ。昔は2本立で2週間同じ作品というスタイルだったが、今は、朝、昼、晩と上映作品を変えて、上映ごとの入れ替え制で運営し、年間100本近く上映するところが多いらしい。
 単館系の映画館は日本には昔からあったのだが、激減してしまった。
 一方、海外では「多種多様な映画の上映、映画講座の開催、監督や俳優とのトークショー、映画教育などは、地域に対して文化的な貢献があり、公共性が認められること、民間経営は困難であることから」「映画の専門家が運営し、資金的には公共の支援を受けている公設民営の映画館」が「コミュニティシネマ」と呼ばれて活動しているという。
 日本でも2001年に文化芸術振興基本法で映画がメディア芸術として位置づけられたこともあり、全国コミュニティシネマ会議やコミュニティシネマセンターが立ち上がっている。
 今ちょうど、東京や大津で開催されている「ラ・フォル・ジュルネ」を生んだナント市の文化行政官であり、創造都市の論客として著名なボナン氏は「日本のミニシアターがやっていることは、明らかに文化事業であり、そういう映画館は公共の文化施設でしょう。それを民間がやっていること自体、日本は驚くべき所だ。フランスならば必ず行政が支援する。そしてその場合、絶対に内容に口をだすことはない」と言ったそうだ。
 だがしかし、この本はそういう文化行政や創造都市政策の本ではない。映画をこよなく愛し、仲間と一緒にひたすら映画の上映をし続けているミニシアターの人たちの肉声にあふれている。
 シネコンが増え、スクリーン数は一時の倍近くになったが、お客さんが倍になったわけではない。だから苦し紛れにシネコンが単館系、アート系の映画にも手を出すようになり、ミニシアターはさらに苦境に追い込まれているそうだ。最近の邦画の隆盛も広告収入が減ったテレビ局が新たな収入源として本格的に乗り出してきたためで、映画全体の底上げにはつながっていない。大規模にバッと売って、忘れられていく映画が少なくない。
 加えて若い人たちがアート系やマイナー系の映画に関心がなくなっているという。
 大阪シネ・ヌーヴォの社長は「お客様は、いったいどこに行ってしまったのか。映画ってもう過去のものなのか」「いつかお客様が戻っていただける日がくる。そのときは、満面の笑みでお客様をお迎えしたい」と書いていた。
 もちろん、苫小牧のシネマ・トーラスは「この町の誇りです」と言われるまでになっていると言うし、新潟・市民映画館・シネウィンドでは手塚眞監督による「白痴」のロケで、「その土地と後腐れのある映画を作りたい」というプロデューサー古澤敏文氏の思いが地域との交流に繋がり10周年記念上映会が実現したという。
 それでも経営が順調と言えるところはほとんどないようだが、それぞれのあり方でがんばっていることが手を取るように分かる。良い本だ。
 翻って出版はというと、同じく「お客様は、いったいどこに行ってしまったのか」と言いたくなる状況だが、「いつかお客様が戻っていただける日がくる。そのときは、満面の笑みでお客様をお迎えしたい」という心意気のある出版社、書店がどれだけあるだろう。
 他人のことは言っていられない。なんとかしなければ。