『全国コミュニティシネマ会議2009in川崎』

 引き続き、次のコミュニティシネマの関連資料を読んだ。*1

 ※1)『全国コミュニティシネマ会議2009in川崎』
 ※2)『映画上映活動年鑑2008』
 ※3)『映画祭とコミュニティシネマに関する基礎調査』

コミュニティシネマの実践

 『映画館の作り方』の記事が、主に映画館人の個人的な映画への思い入れに焦点が当てられているのに対して、※1や※2で紹介されている事例は、地域の人々の映画への思い入れに力が入っている。

川崎市アートセンター(野々川千恵子さん)

 川崎市アートセンターは公設民営のコミュニティシネマ。バブルの頃はオペラハウスを計画していたらしいが、財政難で凍結。その後、再始動したときに、しんゆり映画祭関係者からアートセンターに映画館をという声を上げることになる。
 アートセンター推進協議会では、区画整理事業に土地を提供していた中島豪一さんが「しんゆり映画祭」の熱い支援者でもあり、アートセンターのなかに映画館をつくる構想を一貫して支持してくれた。新百合ヶ丘のそばにある昭和音大理事長が「音楽はウチに任せてください」「狭いアートセンターには、今、新百合ヶ丘にないものをつくりましょう。日本映画学校もあるし、しんゆり映画祭を長年続けてきたんだから、映画館という発想は良いんじゃないか」と支持してくれたことなどから、アートセンター内に映画館をつくるということに収斂していった。
 しかし川崎市が示した構想は期待にはほど遠いものだったので、実際に使う立場から発言しなければダメだということで、専門委員会の立ち上げを要求。金がないし・・との言い訳には「ボランティアでやる」と押し切って設計にも参加してゆく。
 ところがいざ実現ということになったとき、川崎市が指定管理者を公募し、新百合ヶ丘の地元の関係者が立ち上げたNPO法人KAWASAKIアーツ(事務局長は野々川さん)ではなく、東京のアート系NPOと組んだ川崎文化財団が管理者になることに。すったもんだのあげく、しんゆり映画祭や今回のアートセンター構想を推進してきた関係者のうち映写スタッフ2人と野々川さんが映像ディレクターとして雇われる形になったという。
 開設後、多様性を軸にプログラムを展開。1日100人の目標を半年でクリアしたそうだ。
 指定管理者になぜ最も熱心に取り組んできた関係者がなれなかったのか。野々川さんによれば地元NPOが川崎文化財団に破れたのは、公式には「財政基盤が脆弱、貸し館に関する記述が不十分」という理由で、野々川さんの推測では「あの人たちに任せたら、うるさいし大変だし、アートセンターを占拠されてしまう」からとか。
 書かれているように川崎市の肝いりの財団が、まずは地元のNPOとの連携を模索するのが順序だと思うが、そうならなかったのは川崎市にとってもマイナスだろう。

新潟県上越市高田「街なか映画館再生委員会」(増村俊一さん)

 ここは1911年に建てられた高田座を映画館として復活しようと活動している。
 閉鎖前は高田日活となっており、上映活動で借りている時は「建物は古いし、トイレは臭いし、成人映画館だし・・・・」と良いところナシと思っていたそうだが、ある落語会にこられた落語家から「ここはすごい劇場だね」と言われて、もしかしたらすごい建物なんじゃないかと、議論するようになったそうだ。
 その後、市が高田の駅前の再生のため中心市街地活性化の補助金を申請したところ、経済産業省から、もうすこし広い範囲で取り組んだらどうかとの示唆があり、高田日活の再生もプログラムに組み入れられ、総経費の三分の二の補助金がおりることになった。ただし一つの建物の再生だと市の予算がおりないので隣接の建物をあわせた再生プランとし、募金活動に入っているそうだ。
 映画館の名称は高田座が映画を上映し始めたころの名称から「高田・世界館」を予定しているという。日本版ニューシネマパラダイスの復活を目指す夢のある名前だ。
 なお、(国)登録有形文化財、(経産省)近代化産業遺産に指定されており、現在も募金活動が続いている。

シネマまえばし(小見純一さん)

 群馬県前橋市中心市街地衰退のトップランナーだという。
 中心商店街は本来「大木」であり、「宗教施設」であり、そして「悪場所」だった。そういう場所がなくなり、昨日よりも今日、今日よりも明日、強くなることを押しつけられる昨今、弱がってもよい場所、泣いても良い場所がどんどん減っている。太宰治は「人間は弱くなると映画館に向かうのだ。だから自分は批評をすることができない。だって泣いてしまうんだもの」と書いているそうだが、弱くなっても良い場所、公共の場所がなくなってきている。
 だからデパートに隣接したテアトル西友が閉館し、市がそれを買い取ったとき、自分たちでやるからと頼み込んだ。
 こちらは目出度く指定管理者になれ、シネマ前橋として再出発。
 もちろん、それまでに前橋芸術週間や映画上映会など長年の活動があるのだが、面白いのは「組織を作っては壊す」を繰り返してきたということ。そのためか、「うちのところからいなくなったスタッフが、どんどん同じようなことをはじめて」「自分たちみたいな団体がたくさん」できたそうだ。
 一緒にやっていたら、たまらんなあ、という気もするし、指定管理者になった今は、組織を壊すことはできないだろうが、組織を維持するだけで大変になって重苦しい雰囲気になるのだったら、壊すのも良いのかもしれない。

深谷シネマ(竹石研二さん)

 ここは中心市街地活性化のなかで公的なお金も得て映画館を復活した老舗だ。2002年7月オープン。
 その後、借りていた映画館が区画整理事業で使えなくなり、旧七ッ梅酒造の跡地への移転を目指しているという。
 土地のオーナーは固定資産税が100万ぐらいかかるし、借りるなら全部借りてくれ、と言ったそうで、映画館だけではなく飲食やイベントスペース、体験工房、テナントスペースなども組み込んだ施設を構想し、その事業化のために深谷コミュニティ協同組合を立ち上げたそうだ。
 ただHPによると深谷シネマは、2010年4月に無事オープンしたそうだが、新聞報道ではまだ改装費が800万円不足とか。2009年の会議で発表されたあと、全体構想がどうなったかは、HP等では分からなかった。

コミュニティシネマとは

 『映画祭とコミュニティシネマに関する基礎調査』では1章をさき、「コミュニティシネマとは何か」を説いているが、今ひとつ分からない。
 コミュニティシネマは、最初は公的支援や企業の賛助金、あるいは市民運動に支えられるとしても、上映されにくい映画を上映し、人びとに映画にたいする新しい視野をあたえ、ファンを増やしていくことで、鑑賞料金で成り立つようになることを目指すのだという。
 これはどちらかというと起業支援、新産業育成のスタンスに近いような感じがする。それは良いのだが、そうなると、そこから外れたよりマイナーな映画はどうなるのか。
 すべてのマイナーな映画が鑑賞料金で成り立つはずはない。大儲けできる映画があれば、結果的に儲かった映画で儲からなかった映画を支えることはできるが、そういう余裕がなくなっているから問題なのだろう。
 文化財のように価値が定まったものを凍結保存するのなら、理屈は立てやすいが、いま現在、生まれている芸術の多様性を豊かにするために何をすべきなのか。行政は金は出すが口を出さないとしても、納税者への説明を誰がどうするのか。難しい問題がいっぱいありそうだ。

デジタル・インパクトと文化的ダーウィニズム

 ところで国際フィルム・アーカイブス連盟会長の記念公演(※1)では、デジタル・インパクトは文化的ダーウィニズムではないか、デジタルは右肩上がりの明るい未来を作る無条件に歓迎すべき物の象徴として使われているが、これがどんどん大きな力をもって、教育、市場、雇用など、すべてに影響を与えていることが心配だ。デジタル、さらにはコンテンツ、ユーザーなど便利な言葉が使われ、「映画ってもう古いんじゃない? なにしろ重要なのはコンテンツですよ」というふうに言われる。もっと便利に、簡単にという要求一辺倒になっている。「これは非常に気味が悪い」と言われていた。
 同感だ。

*1:いずれもコミュニティシネマセンターの資料。
http://jc3.jp/