『「場所」と「場」のまちづくりを歩く』その2

コインストリートは、まちづくりではなくなった?

 『「場所」と「場」のまちづくりを歩く』を引き続き紹介しよう。
 サッチャー肝いりのドックランズや公営住宅の払い下げ、鉄道の民営化などがが批判的に紹介されているのはもちろん、コインストリートについても、なかなか手厳しい。
 1974年、コインストリート地区の半分を所有する地主とデベロッパーが延べ13ヘクタールの巨大ビルの建設構想を発表した。この幅500メートル、20階建てのビルへの住民の果敢な闘いは「ウォタールーの闘い」と呼ばれ、大ロンドン議会選挙での労働党の勝利も追い風となり、開発断念に追い込んだ。そしてコインストリート・コミュニティ建設会社(CSCB)は大ロンドン庁から土地の払い下げを受け、住民主体の住宅再開発を開始したという。


 そして開発は遅れながらも進み、ブレア時代、開発トラストの成功例として喧伝された。しかしと著者は厳しい批判の声を紹介する。抗議行動から開発へと展開したあと、すべてが変わってしまった。コインストリートはもはやまちづくりではない。とりわけ歴史的な建物をリノベーションしたオクソタワーに高級レストランを入れたことが象徴的だ。運動のリーダー、ツケットは「低家賃住宅を維持するために、レストランは重要だ」というが、CSCBはシェルやIBMも入っている非営利組織サウスバンク企業グループに接近しすぎ、まちづくりの志を失ったのではないか。
 岩見自身はダメとは断定していないが、心は限りなく批判者に近い。

まちづくり事業体として積極的に評価する立場


 これに対して僕が編集に携わった西山康雄・西山八重子『イギリスのガバナンス型まちづくり〜社会的企業による都市再生〜』は、オクソタワーへの取り組みを、むしろまちづくりの進化として積極的に評価している。公的住宅は質素で地味な規格品であればよいという既成概念を打破し、芸術性の高い生活環境で心豊かに暮らしてほしい。オクソタワーに40億もの費用を投じて、コープ住宅だけではなく、デザイン工房、レストラン、ギャラリー、公演スペースなどを持つ建物とし、地区のシンボルとして再生したのはそのためだ。


 上記のような批判に対してタケット(先のツケット)は、「古いタイプの慈善事業をやっているのではない」「投じた資金に相応しい収益を上げ、その収益をコミュニティに還元するのが原則だ。自らの力で自らの地域を経営するには豊かな財源が必要だ。まちづくり事業体には市場の荒波に耐える効率性と収益性が問われている」と反論しているという。事実、高級レストランの賃料が市場価格の2割という低家賃住宅を支えているとする。


 西山さんはコインストリートまちづくり事業体(先ほどのCSCBの訳)をコミュニティ企業と位置づけ、自立した経済基盤を持つことによって「ガバナンス型まちづくり」への展望を切り開いていると評価している。ウォタールーグループとの緊張関係など危うい面にも触れているが、政府セクターと市場セクターを媒介しうる可能性により力点をおいて紹介している。

日本との違い

 どちらの主張に共感するかは、読者にお任せしたい。ただ、どっちにしたって日本とは随分違うんだな、と思わざるを得ない。
 一番の違いは土地の扱いだ。
 大規模開発をもくろんだ企業が撤退したとき、所有していた土地を平米1.5万円で大ロンドン庁に譲り渡し、大ロンドン庁はコインストリートまちづくり事業体に、わずか2900円で譲っている。また岩見さんによれば、その際、購入資金も融資されたという。山のなかの土地ではない。高級レストランが成り立つ立地なのに2900円/平米なのだ。


 アメリカでも、税金を払えなくなって収容された建物がNPOに1ドルといった名目的な価格で売却され、NPOがその建物を再生することで事業を成り立たせてゆく仕組みがあると聞く。
 シャッター通りと揶揄される通りですら、結構な地価がつけられ、人びとも自治体もそれを信じ、しがみついている日本では、当面ありそうにない仕組みだろう。
 将来、空き地空き家が、そのままではどうしようもないと知れ渡り、税金を払えというならもってけ、といったことになれば、少しは似たような状況になるのだろうか。そう期待したいが、それは時には老後の唯一の安心を無に帰すことでもある。


 なおコインストリートの記述は、西山さんのほうが断然詳しい。
 どちらか一方なら西山さんの本を批判を知った上で読むのが良いと思う。


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西山康雄・西山八重子イギリスのガバナンス型まちづくり―社会的企業による都市再生