蓑原敬編著『都市計画 根底から見なおし新たな挑戦へ』〜大方潤一郎「まちづくり条例による国際標準の計画制度」(2)


日本の都市計画制度の課題と備えるべき要件

マクロの観点から〜集約型都市構造の形成

 大方さんは現状を日本型スプロール現象と呼び、指弾している。
 日本の都市計画制度は、ニュータウンなどの大規模なプロジェクトをのぞけば、開発側に計画的に街をつくるメリットをほとんど与えていない。小さな開発であれば最低限の基盤整備で自由に作れてしまう。そのくせ車利用を促す都市整備という固着観念だけは強力で、ところ構わず道を拡幅しようとして、せっかくの歩いて暮らせる空間まで壊してしまう。


 要するに日本では、新規開発においてまっとうな基盤整備を保障することができず、市街化調整区域内でも開発や青空系土地利用をコントロールできず、都市計画区域外には口を出すことすらできない。


 街並みもつくれず、緑豊かな戸建て住宅として開発されたところも、建て詰まり、市街化調整区域は荒々しい、緑の乏しい、都市とも農村とも言えない風景が広がる。


 そのうえ用途による規制の内容が地域住民がイメージしている地域像とかけ離れており、斜線制限の緩和やマンションの容積緩和などで、思いもよらない巨大な規模のものが近隣を威圧する。


 これは、なんぼなんでもひどいではないか。こんなことでは持続可能性は高められない。
 では、どうするのか。
 持続性を高めるには集約型都市構造、すなわち適度なまとまりと密度の日常生活圏と、それがネットワークされた姿である。


 まず広域については、こうした日常生活圏を結ぶネットワークを形成する公共交通機関や基幹的な都市施設、骨格的な土地利用配置について、近い将来実現すべき姿を描いたプランを関係市区町村の協議の下に策定し、そのプランに即して各市区町村が土地利用規制や各種事業を展開するべきだとされている。


 一足飛びにそんなことができるのか?
 隣同士の自治体が話し合って協調するなんて姿は、想像しがたいのではないか。
 だから具体化にあたっては、「できるところから、できることを始めることが重要」だとされる。少々の取りこぼしがあっても、法的強制力に難があっても、志のある市区町村が同盟・団結して協議する場をつくろうと呼びかけている。

ミクロの観点から〜日常生活圏の具体的空間化


 ミクロな観点からの課題は「日常生活圏とそれを結ぶ交通手段を、その場その場の特性に合わせて、最適な形で具体的に空間化すること」である。
 そのために、次の三つの局面があるとされる。


 第一はアーバンフリンジの土地利用コントロール
 土地利用調整条例を定め、個別法による土地利用計画システムを全面的に置き換える。
 その方法はAドイツのFプランのような構想的プランと裁量的許可による方法と、B独自ゾーニングと都市基幹施設の配置を示したプランと裁量性の限定された許可制、C両者の中間的方式があるという。


 いずれの場合も「自治体全体の土地利用配置と都市基幹施設の配置を示したプランを議会で議決し、個々の開発については市区町村の裁量的許可制によってコントロールする。ただ、必ずしも許可という言葉にこだわる必要はなく、一般的なまちづくり条例と同様に事前の届け出、行政との協議、協定の締結等を義務づければ事足りるとされている。


 第二は日常生活圏の街並み形成。事前に大枠的な計画基準を厳しく設定しておき、個々の開発の際にデザインレビュー等の方法で周囲の空間的な状況に適合するように調整する仕組みをつくる。
 これは都市計画の規制と誘導のあるべき姿として「見果てぬ夢」だった。それが条例で、国のズブズブのくせに硬直した都市計画制度を棚上げしてしまうことで出来るというのだから凄い。(が、本当にできるのだろうか、セミナーで是非、聞きたいところだ)。


 また仮にこのような仕組みができても、一つにはハード整備における柔軟な発想や、ソフトな事業をたくみに戦略的に展開する必要がある。またいくら枠をつくっても開発需要が弱いところでは内実が満たされない。だからそれなりの需要がない場所は日常生活圏と位置づけることができない。また開発需要が強いところでも当初想定した街並みとマッチするかどうかは分からない。だから普段のモニタリングと計画の見直し、様々な事業の投入も必要となる。


 そして最後は逆スプロール現象への対処である。
 これについては明日、少し詳しく触れたい。

新たな都市計画システムの構成


 大方さんの議論の中核は、国の抜本改正を待つのではなく、むしろ国の法律と制度は棚上げして、必要な計画システム全体を自治体の自主条例として組み上げてしまおうという点にある。
 そんなことができるのだろうか。大方さんは合法的に全部を組み立てることができると繰り返し書かれている。まして蓑原さんが言うように中央官庁が揺らいでいるのであれば、超法規的な締め付けも出来ないだろうから、大いに可能性があるのかもしれない。


 季刊まちづくり30号では、安曇野の土地利用制度や狛江市のまちづくり条例による開発調整システムが紹介されているが、これらが「できてしまった例」なのだろうか。


 このあたりも紙幅の関係で先行の具体例が書かれていないので、セミナーでは是非、お聞きしたいものだ。


続く