フードツーリズムとは何か

食と観光の関係

 フードツーリズム研究会で尾家さんの「フード・ツーリズム論・序説」を聞いた。
 尾家さんはまず、1)観光資源と観光アトラクション(対象)をしっかり区別して議論をしたいというところから始めた。石油は資源だけれども、そのままでは使えない。精油といった工程を経てガソリンとなることで、資源は商品となり使われる。同じように観光資源を、観光アトラクションとごっちゃにして使うのは間違いだと言われる。
 そして「食を楽しむことが旅行者にとって観光アトラクションになり、旅行者の観光体験となることが、フードツーリズムの条件」であるという。
 たとえば富田林には素晴らしい町並みがあるが、最近まで昼食をとれるところがなかった。ようやく食事ができるところが出来て、不便を感じなくなったが、これは観光施設のレベルであり、食が観光の魅力にも体験にもなっていないので、フードツーリズムとは言えない。


 2)そして、フードツーリズムとは本来、食がもたらすであろう快楽としての美味、食の提供される土地と、その場所への移動、その場所での体験が条件となる、とする。また3)食の娯楽性も余暇と深く結びつき、観光と結びつく点で見逃せない。


 4)美味には個人差があるが、大半の人が認めるものがあるのも事実。その美味な食を構成する生産物、食材、料理人、景観、サービス、食器などすべてが観光資源であり、それらが組み合わさって食文化となり、観光アトラクションとなる。
 5)したがって、フードツーリズムを観光システムのなかで定義すれば、食を観光動機とした観光旅行であり、食文化を観光アトラクションとする観光事業であると定義できる。


 6)世界的にも、2000年代に入って食と観光をめぐる議論は盛んだが、その際の用語としては、広く一般的なフードツーリズム、美食学とも訳され学術的にもよく使われるガストロノミー、そして食を利用した新しい観光という感じのキュリナリーがある。またフランス語ではテロワールと観光(大地の観光、地味)もある。(ちなみにガストロノミーの古典『美味礼賛』、現代の古典『食の歴史』のアマゾンリンクは末尾に)。

フードツーリズムの構造

 1)美味は快楽であり生活の喜びである。しかし現代においては工業化、商品化が著しく進んでおり、食と健康をめぐる社会問題も生じている。
 2)食は日常的なものだが、観光は非日常的なものである。したがって食と観光の構造的関係は、巨大な食のシステムを中心として、その周縁を観光が取り巻くものとなる。そこにおいて美味への要求は観光動機となり、観光目的地においては食が観光アトラクションとなり、食の観光事業が展開される。
 しかし、その巨大な食の中核をなすのは、今なお食料生産であり生産地である。なお僕が思うには、観光においてもまた、巨大な食のシステムから抜け出し、生産物や生産地と観光者が向き合っている点に注目すべきだと思う。日常が大量生産の規格品に覆われているからこそ、本物をもとめて人は旅にでるのだ。いわば周縁において中心と繋がるクラインの壺のような関係がここにはある。

観光現象としてのフードツーリズム

 尾家さんはなんと24種類にもわたる食に関わる観光現象を列挙された。たとえば「旬のグルメ旅行」「名物料理」「温泉旅館の会席料理」「全国区B級グルメ」「ご当地グルメ」「テーマ型・キャンペーン型食ガイド」「個店集積地」「横丁、屋台」などなど。
 目が回るほどたくさんあるが、もう一段掘り下げたところで考えないと、やたら分類が増えていくのではないか。食そのものや、食を楽しむ空間、旅行商品、キャンペーン、イベントなど、切り口が違うものが並列されていて、整理されていないように感じた。

フードツーリズムの3領域

 尾家さんは、縦軸に「食の付加価値」、横軸に「観光の付加価値」をとり、紹介された観光現象等をマッピングされた。そして観光とは言い難いデイリー・フード圏をのぞき、A群(食観光事業、主に観光地に形成される)、B群(地域づくり、食によるまちづくり)、C群(美食空間、美食エンターテイメント)の3つに分けられるのではないかと提案された。


 ここで質疑応答になり、真っ先に僕が噛みついたのだが、冒頭でフードツーリズムを「食が観光動機となり、食文化を観光アトラクションとする」とされたのに、今さら「食の付加価値」「観光の付加価値」の2軸はないだろう。
 質疑応答のときは「観光の付加価値」ではなく「距離なのではないか」と質問したのだが、今思うと、「食の魅力」「非日常性」の二軸が議論の展開からは素直ではないだろうか。原点ちかくにデイリーフード圏が描かれていることとも、整合しやすい。
 近所のミシュラン三つ星で毎日食べている人もいれば、いくら近所でも一生に一回いけるかどうかの人もいる。だから、目盛りは人によって違ってくる。だから物理的な距離では語れない。曖昧だが、日常か非日常かのほうが現代の観光の本質に近いと思う。
 本物性を加えることも考えられる。冷凍技術が発達した今日、美味しいものはすべて東京に集まるのかもしれないが、そういう巨大な食のシステムから逃れ本物を求めて旅にでるのではないか。それがB級グルメであっても、新宿で食べる焼きそばと富士宮焼きそばは違うと思うからこそ、人は行くのだろう。先の生産者、生産地の問題とも重なるし、食文化はその美味な食を構成する生産物、食材、料理人、景観、サービス、食器等々の総合されたものであることからも、やはりそこでしか味わえないものと言えるのではないか。


 なお、この図はとても興味深いので、ここで引用したいのだが、質疑応答での「引用させて欲しい」とほかの人の声に、色よい反応がなかったのは残念だ。

食旅と観光まちづくり

 『食旅入門』という本を書かれた安田亘宏さんに『食旅と観光まちづくり』という本を書いてもらっている。校正の最終段階で、明日、カバー案を決めて安田さんに提示する。
 学問的な定義云々ではなく、パネル調査にもとづいてユーザーの視点から食旅を考え、観光まちづくりへの取り組みのあり方を示すとともに、代表的な食旅都市を紹介している。
 食の話は読んでいて楽しい。けっして食旅のガイドブックではないが、行ってみたくなる。乞うご期待!。

街角の匠、京の豆腐をめぐる

 参加されていた京都のツアーランドの打越さんが紹介された京の豆腐をめぐるツアー
 京都の豆腐屋さんを三軒まわり、職人さんのお話を聞く。バスの中では大豆専門誌の記者さんから大豆の蘊蓄を聞く。そして最後は上賀茂神社で行われる夏越大祓で夏越豆腐で厄払い。それでなんと6800円。20名限定。
 なんでも打越さんの処女作、はじめての企画ツアーとのこと。面白そうだから、行ってあげて下さい。ただし僕は仕事だからいけない。だいいち、どの店かが分かれば、自転車で行ってしまう。「そこが弱いトコなんですよ」と打越さんも言っておられた。


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皇帝ティートとの慈悲を聞きながら