宗田好史『イタリアの村はなぜ美しく元気かなのか』その2


 帯では「農村観光・有機農業 成功には理由がある」と書いた。
 どんな理由なのか。まず、きっかけとなった動きから見てみよう。

四つの動き

 第1は1965年、元侯爵シモーネの主導で誕生したアグリツーリスト協会の動きだ。当初は没落した貴族の若旦那の夢物語と馬鹿にされたそうだが、まずはチロル地方に広がり、やがてトスカーナ州でブレイクした。広がると同時にその質も大きく変わり、素泊まりやB&Bの長期・安価な宿から、一泊から可能な、その地域ならではの食事を楽しめるものに変わっていったという。
 シモーネの戦略で僕が感銘を受けたのは、アグリツーリズモへの理解を深めるために、農村の過疎高齢化、環境保全、景観、食文化、民俗文化の継承など、多岐にわたる分野に積極的に発言し他分野の味方を増やしていったという点だ。この布石が、いま、大きく花開いているように読める。

 第2は1986年のマクドナルドのローマ進出に反対したデモに始まるスローフードの動きだ。
 その後、スローフードは「食を守る」「食を教える」「食を支える」という分野で活躍し、社会の嗜好を大きく変えていった。特に有機農業を後押しし、その品質保証制度を広めた点が大きいという。それはやがてEUレベルでの原産地呼称制度に結びつき、ブランド化を後押しした。またホンモノ志向は「味の地理、地理の味わい」を唱えるエノガストロノミー観光へと広がっていった。
 こうして美味しい食を食べに行こうというアグリツーリズモとスローフードは相思相愛のなかで発展した。

 第3の動きは1999年に小さな街の市長さんたちが始めたスローシティ運動だ。
 スローシティ協会はそのマニフェストに「現代性へのコントロテンポ」を掲げている。コントロテンポとはフェイントをかけるという意味で、グローバル化に真っ向から逆らうのではなく、ちょっと斜に構えて、より人間的な生き方、暮らし方をしようということだという。
 その実現のために、実行可能な課題から、しかし総合的な取り組みを展開した。アジェンダ21への加盟など環境への取り組み、屋外広告物規制など景観への取り組み、車を抑制し歩行者に優しい都心、行政や商店のサービス向上、地産地消有機農業の奨励など、実に多角的だ。

 このような果敢な取り組みの背景には、イタリアでは大都市への人口集中が終わり、1〜10万人の小都市や町の人口の社会増、自然増が大きいことがあるという。また様々なネットワークを組む小規模だが元気な企業が地域に根ざしている。もちろんそのような企業の雇用力はそんなに大きいわけではなく、失業率は高い。それがまた、小さな街での小さな起業を促しているという。
 何れにしてもグローバルな経済競争に倦んだ人たちが小さな街にスローなまちづくりを求めており、街もそれに応えようとしているのだ。
 ところで屋外広告物規制の話が出たが、日本のように機械的ではない。世界的ブランドや全国チェーンの広告を嫌い、地元の特に食品関係企業の広告が優先されているという。景観規制は地元のため、という理念が徹底している。

 第4は都市・まちづくり関係者にはお待ちかねの景観政策、とりわけガラッソ法からオルチャ渓谷世界遺産登録にいたる動きだ。
 イタリアでも、景観の保全や遺産の保護は、経済開発と対立的に捉えられ、多くのものが失われてきた。その潮目が変わったのが70年代だ。まず、歴史的中心市街地の保全が市民の支持を得て大きな流れになっていく。そして80年代半ば、景観保全を農村部にまで拡大するガラッソ法ができた。
 そして2000年代にはいり、オルチャ渓谷の住民たちが自ら主導して、その文化的景観を世界遺産に登録した。
 イタリアでは観光振興のために世界遺産登録に地元が動くことは希だという。また、オルチャ渓谷の人たちも世界遺産というブランドが欲しいがために頑張ったわけではない。戦後の経済発展から取り残された村が、その貧しさ故に持っていたトスカーナ特有の農村景観を自らの宝だと気づき、種々の保全策を講じていくなかで、その集大成として世界遺産に登録したのだという。
 とりわけ驚くのは、日本で言えば五つの村をまたぐ「村づくり会社」のようなオルチャ渓谷株式会社が、地域整備計画と都市計画策定、産業振興や公共サービスの経営まで主導権をもって取り組んでいるということだ。計画は一度作ってしまえば運用にそんなに手間がかからないので、地域振興に力を振り向けているという。
 このように、オルチャ渓谷ではアグリツーリズモもスローフードも農業政策も、地元で一つに紡ぎ上げられている。この点が羨ましい。
 またお気づきだろうか。当初、経済開発と対立的に捉えられた景観や歴史文化の保全は、いまでは経済発展にも欠かせないものと捉えられるようになっている。
 日本では常識として固着している「経済優先の開発か、景観か」なんて言い回しは、とっくに死語になっているようだ。

 以上、アグリツーリズモの誕生、スローフードとスローシティ、そして農村景観の保全世界文化遺産登録が美しく元気な村づくりのきっかけになったという。
 
 次は第2部、村をとりまく環境や政策の変化、村自身の変化について紹介したい。

続く

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なぜイタリアの村は美しく元気なのか: 市民のスロー志向に応えた農村の選択