宗田好史『イタリアの村はなぜ美しく元気かなのか』その3

 先日書いた四つの出来事に続き、今度はイタリアの農村が捉えた三つの変化とはな何か。

三つの変化

 第1は農業政策の転換だ。
 イタリアの農村は戦後の農地解放も不十分だったため、多くの問題をかかえ呻吟していた。ところがイタリアは国際社会への復帰に熱心で、そのため57年には欧州経済共同体に加盟してしまう。オランダ等と比し、生産性の低いイタリアは、域内競争にさらされ普通の小麦からは撤退を余儀なくされ、パスタの原料になるドゥラム小麦やオリーブ・オイル、ワイン、果物に生産を移していく。
 とはいえ、EUになっても保護的な農業政策は続いていた。その結果、食糧不足が解決したあとも、所得補償等の補助金が生産(拡大)を支え、市場に生産物があふれて価格が下がり、農家とそれ以外の産業の所得格差がますます広がるという矛盾に苦しむことになる。その解決のために考え出されたのが補助金を受けるためには環境保全型農業を義務づけるデカップリング政策と農地を自然に戻すセットアサイド政策だ。
 いわば生産量に対してではなく、環境をふくめた生産の質に補助金を出す。そのうえ、観光など農産物の過剰生産に結びつかない農村振興にも補助金を出す。この転換が、アグリツーリズモや有機野菜の成功を支えた。

 第二は観光の変化だ。
 ヨーロッパ諸国も戦後、大衆観光の時代を迎える。そのうえ、90年代以降も東欧等からの観光客が増加し、マスツーリズムが我が世の春を謳歌した。
 しかし、その一方で、混雑する観光地をさけ、普通の都市や農村のよさを求める人々もまた増えていった。とりわけ2000年代、マスツーリズムを一通り体験した遊び慣れた世代が中高年になると、より落ち着いた、ゆったりした旅が求められるようになった。
 アグリツーリズモは、その流れをうまく捕まえた。

 そして第三の変化が、農村自身の変化だ。
 イタリアにも大量生産時代の農業に固執する人たちもいるし、年金+α程度の収入で満足する老人達も多いという。しかし、のんびりした老後を過ごす人たちと、アグリツーリズモや有機農業に果敢に挑戦する人たちが共生する社会が、いつの間にかできていた。それが大きい。
 その一つの原因は、日本よりも早く混乱した中央の政治だ。
 イタリアは日本と違い自民党や農協が全国を隅々まで支配する(面倒をみる)ということはなかったが、農業団体も、アグリツーリズモのような弱小分野でさえ、中央の政党別の組織が全国につくられていた。
 ところが、90年代以降の中央の政治の混乱のひどさに、地域では自立して生きる政治家やリーダーが生まれきた。彼らが地域主権の国イタリアをより分権的にかえ、EUや国の政策も地域で使いこなすことができるようになった。
 そして農業団体もまた、中央組織の政治的な目標からは離れ、地域ごとの独自の課題にあった方法で農業などの産業振興に力をいれる道を歩み始め、市長などの政治家もそれを応援するようになった。


 また女性の力が大きい。アグリは男の仕事という保守的な人でも、ツーリズモは女性の仕事と認めるという。彼女らが稼ぎ出し、発言力が大きくなると、商売の邪魔になるような派手な看板なぞ許されるはずがない。ユーザーのスロー志向を敏感に捉えたのも彼女たちだ。
 このようにして、ファシズムも、戦後の社会主義も、新左翼環境保護運動もなしえなかった村の改革が一気に進んだという。

 このようして、村は補助金による大量生産の下支えという道をすて、市民の嗜好の変化を捉え、市民に農地を開く、美しく元気な村づくりの道を見出したという。

成功の訳

 最初に述べたように、成功のカギは地域の人々が市民のスロー志向を受け止め、地域レベルで政策を総合化し、一人一人の努力と政策を共鳴させたところにある。
 イタリアと日本では国情に大きな違いがあるだろうが、大きな変化の渦中にあることは似通っている。その変化の方向もかなり近いものがある。
 実際、直売所や加工所、農村レストランなど、急速に伸びている。
 日本の農村もきっとよみがえる。そう信じたい。


(おわり)


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なぜイタリアの村は美しく元気なのか: 市民のスロー志向に応えた農村の選択