林直樹さん『過疎地域から始まる戦略的再編』を聞いて


 11月10日、京大の「安寧の都市ユニット」で、『撤退の農村計画』の林直樹さんの講演を久しぶりに聞いた。
 その日、打ち合わせのときに、しつこく、飽きず、本の広報を宜しくって言ったからか、最後に同行していた齋藤晋さんが壇上にあがり、本の内容をドーンと紹介して下さった。有り難い。著者の鑑!


 ところで、講演のなかで林さんは農村の消滅について、農村は心の故郷だ、なくなると淋しいといった存在価値を横においておくと、次の四つが問題なると言われた。
 一つは農業生産力の低下、
 二つは遊水地機能の喪失、
 三つは生物多様性の低下、
 そして農山村の知恵が消えること、
である。
 ただ林さんは最初の三つは大きな問題ではない、風説にすぎないと言う。
 まず、農業生産力は大規模に減反しているような現状では問題にならない。今、日本では7020平方キロの田で作付けされていない。だから山間地の田(2,516平方キロ)が失われても、他がしっかりしていれば大丈夫だ。
 また遊水地機能は過大評価されている。都市と比べれば農村の遊水地機能は抜群だが、農村が森にもどっても目立って低下しない。
 生物多様性は低下するが、それは人間が介在することで保たれていた生態系が縮小することであって、大自然が失われ種が絶滅することとは次元が違う。
 唯一、大問題なのが、農山村が育んできた自然を利用する知恵が失われることだが、これはあえて山間に留まる種火集落で保全、活用しようという主張だった。


 しかし林さん自身、講演のなかで散々強調していたが、問題はそんなことより人口減少のスピードだ。林さんは「1000年かけて2000万人に減るのなら、なんの問題もない。むしろ好ましい方向に向かっているとすら言える」という。だがこの150年で4倍に増え、これから100年で半減する。このままだと1000年後には10万程度に落ち込むというスピード。
 心の価値は脇において、と言われるが、次々と消滅する集落に心が耐えられるだろうか。
 都会にいれば関係がないとしても、団地も、下町も消えていく。人口減少といっても東京圏は人口が減らないと仮定すると、200年後には東京圏以外には人がいなくなるってことだ。人ごとではないと思う。


 もちろん、現実をきちんとみて、積極的撤退に踏み切る集落があっても良い。静かに生を終える集落もあるだろう。だけど人口が減っても、高齢化しても、なぜか明るい、という状況もつくらないと、山間部どころか、日本中が真っ暗になってしまいかねない。成長期の価値観で見ていたら、不幸になるだけ、ってことだ。
 シモンヌ・ド・ボーヴォワールは「老人はラディカルだ!」と言っていたらしい。古典だが読んだことがない。青年期だけが明るくて元気というのは、間違っているかもしれない。今度、読んでみたい。

(おわり)

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撤退の農村計画―過疎地域からはじまる戦略的再編

○参考
過疎集落が消滅するとどうなるのか―風説で農村を守ることはできない 横浜国立大学大学院環境情報研究院 林 直樹
http://www.47news.jp/47gj/latestnews/2012/10/1354793.html