『空き家・空きビルの福祉転用〜地域資源のコンバージョン』


 9月に出した新刊。実は、この本、建築学会の大会に間に合わせるために、お盆の最中にもカバーの写真をめぐって右往左往していた。というのは、カバーに使っているデーセンターモモの家の写真の採否をめぐって、社内で異論が出て、著者の方々にも大変迷惑を掛けながら、試行錯誤したからだ。
 小さくて分からないだろうが、カバーの左上の一番大きく扱われているのがモモの家の写真だ。手前の人がうずくまっているように見えて、苦しそうにしている、イヤだという反応だった。イヤ、そうじゃない。こういうふうな姿勢になることは僕だって日常茶飯事。慣れ親しんだ自宅感覚だからこそ、こんな姿勢が自然にできるんだ。それがこの空間の見かけをこえた本当の素晴らしさだと言ったものの、賛否が分かれてしまった。
 最後は、関わった人の一言が決めてになったのだが、美しい空間ですまして生きているという建築写真的価値観は強固だ。僕も大いに悩んだ。


 もともとここは木材置き場だったそうだが、コンバージョンで重症心身障害者のデイサービスの拠点になった。同時にカバー右上の写真のように平屋建のリサイクルショップを増設し、その屋上を緑化。季節に応じた豊かな生活環境と地域との繋がりの工夫が評価され2010年度グッドデザイン賞を受賞したという。
 だけど、「横になっていても五感を刺激する工夫」(本書)が一番素晴らしいと僕には思える。


 もう一つ気に入ったのが路地カフェだ。
 これは機械工場を障害者が働くカフェに改装したもの。路地奥の立地を活かし、隠れ家のように人々が密やかに集う場所になっているという。
 しゃべれない人や、じっとすることができない人は働くことができないが、障害者区分3以上の人が働いている。みんな作業所よりカフェで働くことが好きだという。


 実は13年の2月16日には、この場所をお借りして著者がセミナーを開く。福祉コンバージョンの場を体験しながら福祉コンバージョンのお話しを聞き、議論する。あまり人数が入らないのが残念だが、きっと良いセミナーになると思う。


セミナーHP
http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1302mori/index.htm


 この例に限らず、古い建物をコンバージョンした福祉施設にはワクワクするような空間がある。この本には37もの事例が載っている。加えて、制度や技術の説明もしっかりしているし、著者がインデザインやイラストレイター使いこなしてつくってきた密度の高いページを、社の最強のスタッフが予定の倍ぐらいの時間をかけて仕上げている。成り行きと制作担当者の情熱と技でつくってしまった本だ。

 コンバージョンやリノベーションは流行っているが、福祉施設はハードルが高い。防火や耐震などの安全性に気を使うのはもちろんだが、福祉施設の基準が新設を念頭に作られているため、既存建物の活用には苦労が絶えないという。
 だが、それだけの価値ある空間が生まれている。特に木造の馴染みやすい感覚は捨てがたい。また、既存の空き家には中心市街地など至便な立地のものも多い。これを活かせるようにするのは地域にとっても、建築にとっても、大いなる挑戦だろう。「地域資源のコンバージョン」という副題は伊達に付けているわけではない。


(おわり)


○アマゾンリンク
空き家・空きビルの福祉転用: 地域資源のコンバージョン

『100円商店街・バル・まちゼミ〜お店が儲かるまちづくり』


 長坂泰之編著、齋藤一成・綾野昌幸・松井洋一郎・石上僚・尾崎弘和著による「商店街活性化・三種の神器の真髄を第一人者が大公開」という本が先月出版できた。企画・編集はスタッフの岩崎君だ。

 「100円商店街」は想像をはるかに超える集客力で賑わいを作る仕掛け。単に100円の工夫を凝らした商品を出すだけではなく、店内で精算することによってお店の内部に誘導し、店の様子を知ってもらうことに意義があるという。
 「バル」は共通チケットでまちの複数の飲食店を巡る試み。割安な値段で、それぞれの店のお得意の料理・お酒を楽しみながらまちを回遊できる。
 そして「まちゼミ」は店の人によるゼミナール。店の人の蘊蓄を聞けたり、お菓子作りなどの体験ができ、店の人の奥深さに触れることができる。

 これらに共通しているのは、楽しみ方を個々のお店が提案していることじゃないだろうか。
 とくに面白いのは、バル。まちによって違うらしいが、バルのマップがイベント後もまちの案内図になっていることもあるという。そこに載っているお店は、たとえバルで訪ねていなくても気、になってしまうだろう。



 ところでこのバル、本書でも触れているが発祥は函館の西部地区だ。
 実はこの西部地区、函館元町倶楽部代表の村岡武司さんが『証言・町並み保存』で語っているところによると、40年ほど前には人口が流出しゴーストタウンになっていたという。そこをもう一度、人が集まるような場所にしたいという動きが起こり、まず海産商の自宅を改装したペンション「古稀庵」、郵便局をカフェバーにした「カリフォルニア・ベイビー」などが生まれる。


 そして1983年頃、保存再生運動をうけて金森倉庫や郵便局の利活用が始まった。
 郵便局が生まれ変わったユニオンスクエアには、カフェバーやレストラン、クラフトショップといったお店が出たほか、大道芸やジャズの演奏会、映画会など多彩なイベントが繰り広げられた。ファッション誌等が背景として撮影しにくるようになったのも、この頃だという。
 そして2000年頃からは、ユニオンスクエアに出入りしていた若者が、西部地区にお店を出すようになった。たとえばゲンチョスというお店はアーティストが手づくりで再生したお店だ。


 そういう下地のあるところで、西部地区出身でスペイン料理オーソリティであった深谷宏治さんが、「何か楽しいことをやりたい」と2004年にスペイン料理フォーラムを開き、そのなかのイベントの一つとしてバル街をやったのが、元祖まちなかバルだという。


 村岡さんは「地図をもって歩くと「あんたもこのために来たんだと」すごく分かりやすい。お客さん同士で話ができるわけです。町を歩いていても「どこに行ってきたの?」「あそこの親父さん、すごく面白いよ」といった情報が、行ったり来たりする」。……西部地区は観光客は多いけれども、市民は夜はめったにいったことがなかった。「そこに自分の足で行き、初めて夜の雰囲気を味わう。次のお店に行こうと思うと、途中に変な路地があって、この路地の奥がどうなっているのかなと興味をそそられる。今まで頭のなかで分かっていたつもりの西部地区を、気軽に実体験できる。そこに喜びや楽しみがあるという気がします」と話している。

 さきほど「楽しみ方を個々のお店が提案している」と書いたが、これを読むと、複数のお店が連携することで、個々のお店の楽しみ方を超えて、まちそのものの楽しみ方を提案してくれていることが分かる。そのうえ、失われがちなコミュニケーション、大げさにいえばまちを楽しむ仲間意識も生み出している。


 三種の神器といっても、このような活動だけで、まちが元気になるわけではないだろう。
 函館の場合は40年間の歴史的建物の再生、利活用の積み重ねのうえに、若い人たちの個店が西部地区に増えてきたいたことで、バルが花開き、ますます活気づくことができた。
 だいち、40年前の西部地区では、バルをやろうにもお店がなかった。
 それを思えば、バルができるってことは、それだけの資源が既にあるということだ。

 100円商店街にしても、工夫をこらした商品を並べられなかったら、数回でお客さんは飽きてしまうだろうし、まちゼミはそもそもネタと人材がいなければ成り立たない。
 だから三種の神器は、すでにある地域資源を顕在化させ、人々とのコミュニケーションを取り戻すきっかけづくりなんだと思う。

(おわり)

○アマゾンリンク
100円商店街・バル・まちゼミ: お店が儲かるまちづくり証言・町並み保存

遅咲きのヒマワリ(8) 僕ら地域おこし協力隊


 今日は8回目。さらに地域おこしからは遠くなっていったが、そろそろ転機かなと思わせる展開だった。
 親父と一緒にやっている金物屋が潰れそうになった挙げ句、商店街からも孤立してしまった藤井順一と、親が決めた結婚に納得できない今井春菜がともに行方不明になってしまう。
 二人を心配した丈太郎は高知市に探しにゆき、観光名所をめぐるだけで二人に無事に再開を果たす。
 そこで春菜が妻子がいる大学の先生に惚れてしまい、失恋したことを打ち明けられる。最後は、偶然にも別の女の子を連れて目の前に現れた先生を、順一が殴ってしまうという展開。
 三人でまちにもどった順一は商店街の人に「今井先生のお嬢さんを無理矢理連れ出すなんて!」「順一のことなんかお嬢さんが相手にするわけないだろう」と非難されるが、春菜は「だいすきです。商店街のこととか、地域のこととかに一生懸命な順一君が。これからも手伝いたいと思います」と言って、皆を驚かせる。
 一方、二階堂は担当した松本弘樹の親父さんが夜中に吐血し、気道確保のために喉にメスをいれる。こわごわと、ふるえながら入れたが、無事成功。親父さんの命を救うことができ、一歩前進かなと幸せを噛みしめ、二人を無事連れ帰った丈太郎とビールを飲んでじゃれあっていた。


 ところで、高知で出会った順一と丈太郎は、お互いの弱みをさらけ出していた。
 順一は、まちから一度も出なかったことが、いつまでもコンプレックスになっているという。「俺のことを田舎もんだといつもバカにしているだろう」「東京でも高知でも生きていける丈太郎は気楽だ!どうしようもなくなれば栃木の実家に戻れば良いんだから」と言われた丈太郎は、「東京に出ても仕事がなかった奴と言っているくせに」「それに、もう僕には戻るところはない」「実家には居場所がない」と言い返す。加えて「親が選んだ結婚は自分の人生じゃない」と言う春菜。「隣の田んぼは青くみえるんだ!」という順一に、「そりゃ芝生だろ」と一同爆笑となるのだが、なんだか行き詰まった若者たちの心情吐露合戦みたいだった。果たしてあと2回でここからどう巻き返すのか。


 次回には二階堂さんに東京の大学から「戻ってこい」という声がかかるらしい。「ここにいて欲しいな」と言う丈太郎。ひょっとして丈太郎君の最大の地域貢献はお医者さんを地元に引き留めておくということ?。それはないよな。いくらなんでも。

(おわり)

○僕ら地域おこし協力隊
http://www.gakugei-pub.jp/gakugeiclub/chiikiokosi/index.htm
○出版記念イベント東京(12.14)
http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1212inak/index.htm
○出版記念イベント京都(13.11.11)
http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1301mega/index.htm

映画・八甲田山

 1902年に雪中行軍の演習中に遭難し210名中199名が死亡した事件を描いた1977年の映画(画像はtoshibos-museumより)。
 部分的には見たことがあったけど、昨日、はじめて全編を見た。
 169分という長大な映画の三分の二がひたすらさぶい場面。猛吹雪で視界も効かず、崖を上りそこねて転げ落ち、汗をかくと凍り付きショック死、うっかり小便を服のなかで漏らすと同じくショック死。兵卒は立っておられず次々と倒れ、無能な上官は状況に振り回されて朝令暮改を繰り返す。
 「よう、こんな場面をCGもない時代に撮ったな」と感心してしまった。

 Wikipediaによると「実際に真冬の八甲田山でロケを敢行」「実際に数名の俳優がその過酷さに耐えられず脱走」「凍傷になりかけた」と凄まじい話が残っているそうだ。
 やはりホンモノは凄い、CGなんか目じゃないと思う。だが、凍傷になりかけた人にとってはとんでもない話だろう。
 ところで、映画は、弘前第31連隊・徳島大尉(高倉健)の用意周到さや優れた人間性と、青森歩兵第5連隊の山田少佐(三國連太郎)の馬鹿さ加減が対比され、馬鹿な上司に振り回された神田大尉(北大路欣也)の無念さが浮き彫りにされている。

 たとえば、山田少佐は神田大尉がせっかく頼んでおいた地元の案内役を「銭ほしさに何を言っている」と追い返してしまうのに対し、徳島大尉は常に地元の人に案内を請い、秋吉久美子演じる滝口さわには敬礼をしてその功績を称えている様子を大写しにしている(画像はsanmarie*comより。高倉健を案内する秋吉久美子)。


 ただ、このとき不思議に思ったのが、ようやくたどり着いた目的地の村から、夜も迫る頃、秋吉久美子を一人帰すというのは、どういうことか。敬礼して見送っているな、アホ。泊めてやれ!。『赤ちょうちん』『妹』の秋吉久美子だぞ!・・・
 それはともかく、高倉健八甲田山の難所を案内してくれた熊ノ沢部落の案内人たちにも、小銭を握らせて「さっさっと帰れ!」と言わんばかりだった。
 なんかおかしいと思ってWikipediaを見てみると、案内人は悲惨な目にあっている。
 「八甲田山系の最難関を通過後、小峠付近で疲労困憊の案内人たちを置き去りにして部隊だけで田茂木野に行軍していった」「これら案内人はすべて重度の凍傷を負い、うち一人は入院するも回復せず、廃人同様となったまま16年後に死亡、また別の一人は凍傷のため頬に穴があき、水を飲むのにさえ苦労した」。そして、国などから補償も一切なかったという。

 原作では結構書かれているそうだが、映画はそのあたりはすっぽりと落としている。まあ、片方ではほぼ全滅し、踏破に成功した部隊も住民を犠牲にしたというのでは余りに暗く、当たりそうもないから、仕方がないのかもしれないが・・。

(おわり)

子育てと住まいから見るベーシック・インカム

 ご挨拶を兼ねて標記のセミナーに行ってきた。
 1月11日の「 元広告マンが家族と愛媛県に移住。旋風を巻き起こす」というセミナーにコメンテーターとして登場いただく前神さんの恩師・小沢修司さんがベーシックインカムの専門家で、このセミナーでも締めをされるからだ。

 認定外保育所を運営されている延命寺昭典さんの保育の話は具体的で面白かった。保育所の経営実態など初めて聞いた。

 一方、住まいの話は今ひとつ趣旨が分からなかった。
 都市再生で大阪都心部にマンションが増え、おかげで子育て世代も増え、保育所が足りなくなっているということだ。それでは困るじゃないかということらしいが、超高層マンションは街の迷惑、次世代への負の遺産みたいな話ばかり聞いているためか、どうも感情移入できない。

 一方、大阪で暮らす新婚&子育て中の学生で、シングルインカムの中村葉子さんの話はリアルだった。いままで7000〜15000円ぐらい貰えていた新婚家庭への家賃補助がなくなり、分譲住宅購入の際の利子補給に変わったそうだ。ローンなんか組める状態じゃないのに!、私らを見捨てるのか!と憤っていた。

 福祉に金のかかる市民ではなく、税金を納めてくれる市民に来て欲しい、景気浮揚もしたいと言うことだろうが、こういうことは国全体にとってどうなんだろう。東京もそうだが、出生率が地方と比べて低い。そのくせ、美味しい年頃になったら「仕事があるよ」といってさらっていく。
 こんなことを続けていて良いのだろうか?

 ところでベーシックインカムというのは、子ども手当てのように「お金を渡すからあとは市場で調達しなさい」ということかと思っていたら、それだけの議論ではないらしい。保育施設にお金を投じるよりも、個人にお金や保育専用金券(バウチャー)をわたし、保育の質は個人が自らの目で確かめるのが良いと延命寺さんは言われていたが、全員が納得しているわけではないようだった。

 実際、無認可の保育所は悪質なところも多く、また毎年8000件が開業し7000件が廃業するという不安定な状態だという。一方、認可保育所はというと、官僚的というか無愛想というか、してやっているみたいなところもあるそうだ。
 信頼できる市場ができなければ、市場には任せられないし、公営や補助金で支えると市場が育たない。どうどう巡りで簡単には解けそうにないと感じた。
 住宅はもっと難しそうだが、保育所よりも市場に任せられている。そのうえ住宅政策、都市政策というより景気対策でお金が使われ、規制緩和が行われる。その結果、街は空き家と駐車場だらけ。建っているのは将来の維持管理や更新に不安が残る区分所有の巨大マンション。
 だが、将来のことは実感できないし、まあ、何とかなるかもしれない。というわけで選挙では一層の景気対策としての住宅・都市政策が支持されるのだろう。


(おわり)

成長は幻想か、解決策か

 「成長は幻想か、解決策か」という論説が京都新聞(11.29)に載っていた。
 成長派として取り上げられたのは民主党前原誠司さん。「問題を解決するには、成長により国力を上げるしかない」「中学校2年生のときに父親をなくしたものの、浪人を経て京大を卒業した自身の生い立ちを紹介。「専業主婦だった母が仕事を見つけることができたのも、また大学生になった私に探せばいくらでもアルバイトの先があったのも、結局、当時の日本経済が成長していたからではないでしょうか」」としている」という(『政権交代の試練』新潮社)。


 一方の成長は幻想派は同じく民主党枝野幸男さん。「途上国から安く買った資源を、欧米より安い労働力で作った製品を安く大量に売る」という成功モデルは通用しなくなったと結論づけているという(『叩かれても言わねばならないことがある』東洋経済新報社)。


 枝野さんの本は読んだ。帯には「成長や改革は幻想だ。拍手喝采される政治は嘘。東京に使用済み核燃料の受け入れを求める。官邸デモは有効である」と刺激的な言葉が並ぶ。
 さらに刺激的なのは、「日本は1868年の明治維新から近代化と「坂の上の雲」を目ざして歩み、1980年代の後半のバブル期、その頂きにたどり着き、雲をつかんだ。たどり着いた先で上を見て、まだ雲がないかずっと探し続けているのが、この20年間だった」という言葉だ。この20年間のむなしさが読みとれる。


 これは言ってみれば幸せとは何か、国家の目的は何かという根本的なところでの違いだ。原発や消費税などの見かけの争点よりも、もっと根深い。なのにここまで真逆の価値観をもっている人が同じ政党で国家戦略担当相と経済産業相という要職についているのは、どうしてだろう。

 本来は、変わってしまった世界、脱近代にどう立ち向かうかが、対立軸となり、選択肢となるべきだろう。小政党がいっぱい出来ているけれども、ここのところをはっきり主張している政党はない。嘉田さんは「もったいない」という言葉を世界にひろめた人だけに期待していたのだが、原発に争点を絞るために肝心のところを後景に押しやってしまっているように見える。

 枝野さんはさらに、2017年には日本の貿易収支は赤字基調になり、東京直下型地震が起こる確率より遥かに高い確率でハイパーインフレになると断じている。また成長が回復してから増税すれば良いという議論に対しては、「いまだに成長幻想に浸った見方だ。景気がよくなれば金利が上がる。財政はその瞬間に破綻する恐れすらある。少なくとも景気が良くなった分だけ、返すべき借金は増える」「景気が回復するまでは借金を重ねようという安易な姿勢でいると、間違いなくマーケットに狙われる」とまで断じている。
 対して自民党の阿部さんは日銀に引き受けさせてでも国債を増発して公共事業を増やすのだそうだ。

 もしこれが一家族の話なら、借金を返しながら金のかからない幸せを探すか、一発逆転を信じてサラ金に走るかという選択だ。サラ金に走るのは絶対にダメというほどの知識はないが、少なくとも日本の伝統的な心とはど遠いと思う。なのに日本!、日本!という人に限って安楽な道を主張しているように見えてならない。

(おわり)

遅咲きのヒマワリ(7) 僕ら地域おこし協力隊

 今日は7回目。面白いけれども笑えない展開になってきた。
 お店がしまってしまうことになった順一は四万十にテーマパークを作る計画を丈太郎に話す。その場では受け流した丈太郎も次の日には「そりゃ、無理だ」「もっと地道に」と指摘。「そんなチマチマやっていても、どうにもならないんだ!」という順一の気持ちが分からない。

 あせった順一は商店街を回り、お店にケチをつけてまわる。「イノベーションというのを知らないのか、お前らは」みたいな偉そうな御託を並べるので、総スカン。「そんなヒマがあったら、自分の店をなんとからしろ!」「イヤ、うちの店のようにならないために言ってるガヤ」と言い返しても相手にされない。

 そのうえ、暢気な丈太郎が商店街でお宝探しをして、「このケーキ美味しいです」とか「このひげ剃り、気持ちいい」みたいに笑顔を振りまくと、すっかり人気者に。それを見た順一はますます落ち込み、お掃除プロジェクトを続ける古民家で会った憧れの人・島田さよりを押し倒してしまう。
 キスして、胸のボタンをはずし、「さあ、やるぜ」ってところで目に入ったのが結婚指輪。硬直してしまう。結婚指輪って、こういう虫除けの機能があるのだと初めて知った。
 そしてラストでは、順一が行方不明に。街を出たのか、まさか自殺!?というところで次回のお楽しみという展開だった。


 ちょっとステレオタイプというか、絵に描いたような展開なのは気になるが、孤独な順一君が良かった。気持ち分かる。浮いているって辛い。でも憧れの人を押し倒しちゃ、いけないよな。
 ところで、どういうオチをつけるのだろうか。じゃれ合っている丈太郎と二階堂さんは進展せず、着実に前進しているのは大河内さんのリハビリだけって感じだ。


 ところで、順一のテーマパークで一発逆転というアイデア、誰もが「いまどきありえない」「バカかこいつは」という設定で、脳天気な丈太郎君にさえ「もっと地道に」と言われる始末だが、一方、選挙の様相を見てみると、「他人便りで一発逆転」みたいな公約が結構人気を博している。
 それこそ、もっと地道に、だけど楽天的にって政党はないもんだろうか?


(おわり)

○僕ら地域おこし協力隊
http://www.gakugei-pub.jp/gakugeiclub/chiikiokosi/index.htm
○出版記念イベント東京(12.14)
http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1212inak/index.htm