白鳥の湖


 兵庫芸術文化センターにマイリンスキーの白鳥を見に行ってきた。ファーストソリストになったばかりというオクサーナ・スコーリコが熱演していたのに、一幕は、暑くて疲れていて、悪魔の眠気との闘い・・・でもよかった。
 席もよくて音に包まれる感じだったし、白鳥の群舞はもちろん、ソロのとき白鳥がフォーメーションをとって並んでいるときの静止画のような姿も、目の前に広がる感じで見事。
 ただ道化師はこの前見たボリショイの岩田さんのほうがよかったし、マイリンスキーは足音ががさつな感じがした。


 ところで、今日のマイリンスキーの公演も、最後は悪魔ロットバルトの腕から王子が羽をもぎ取って魔力をうばい悪魔を倒すというフィナーレだったが、これは社会主義による改変版なのだそうだ。
 もともとはオデットが湖に身を投げ、続いて王子も飛び込んで死んでしまうという悲劇だったという。
 ただし、死をも恐れぬ二人の愛は悪魔の呪いを打ち負かし、二人は天上で結ばれ永遠の世界へ旅立つという宗教的な救済を暗示する内容だった。


 ところが、そういうところが「社会主義的ではない」ということで、男女が力を合わせて悪に立ち向かい、それを打ち負かす物語への改変されたそうだ。
 一方、西欧では改変前の悲劇の形での公演が一般的で、またボリショイは2001年の改訂でオデットは連れ去られ、王子一人が取り残されるという結末に変えた。(『華麗なるバレエ01』より)。
 映画『ブラックスワン』も同様で、クライマックスでオデットが飛び降り自殺したあと、王子はボーっとしていた。また西欧で一番有名なヌレエフ版では王子の夢ととして描かれているという。


 実は、本来の宗教的救済のバージョンは見た記憶がない。
 この原点と、社会主義的なのかどうかは知らないが、少年少女文学全集的楽天主義の改変版がスッキリしていると思うが、どうだろう。王子一人が取り残されるのは、ある意味、一番救いがなく、単なる「夢」というのも趣味ではない。
 いっそ、白鳥のオデットと黒鳥のオディールは実は同一人物で、二重人格だなんて演出はできないだろうか。

(おわり)

○マイリンスキー日本公演
http://t2.pia.jp/feature/stage/mariinsky/index.html

遅咲きのヒマワリ(6) 僕ら地域おこし協力隊


 第6話。相変わらず「地域おこし」とは縁遠い話が続くが、ちょっと気になるセリフがあった。
 それは森下彩花が松本弘樹と同棲していることを知った丈太郎が、無理にハイになりながら「なぜ僕(丈太郎)は3年間給料をもらってこの土地にいられるのに、ずーとこの土地で生き続けてきた順一が出ていかなければいけないんだ」とうセリフ。順一のお店の一番大きな取引先が倒産したため、順一の父が「自分の代で店を閉める」と言い出していたのを知っての言葉だ。


 地域おこし協力隊は都会から人材を地方に移住・定住してもらうことを狙いとした制度だから、元々その地域に居住している人は応募できない。ドラマでは地元青年の順一は、地域おこし協力隊をボランティアで応援しているという設定だが、同じことをしているのに都会からひょいとやってきた人には報酬が出て、片っ方は無給というのは、なにかおかしいんじゃないかと思う人もいるだろう。

 これは真面目に考えると難しい。集落支援とかのスキルを持っている人なら、別に集落支援員という制度があり、同様の報酬を受けることができる。だからボランティア経験が長い順一ならあり得る選択かもしれないが、単に親の店がしまってしまったからという普通の人では無理だろう。

 それはおかしいと言えばおかしいが、そちらは失業対策としてきちんとやるべきことではないかと思う。今、農業とか、小売業とか、グローバル化や近代化のなかで、競争力を失い、かつてのような雇用力を失っている産業が多い。安く買えるようになって良かったね、ではすまない負の側面が拡大している。だいち、みんなが失業してしまったら、商品を買ってくれる人がいなくなってしまう。

 一方、地域おこし協力隊はというと、やっぱり「よそもの」としてやってきて地域に刺激を与えつつ、自らも起業・定着してもらおうという人材移転の政策として別途成否を考えるべきだろう。もちろん彼らが起業し、さらに雇用を生み出せば、文句なし!。

 なお実際の地域おこし協力隊は、都会でプーになってしまった丈太郎のような人が、他に何気なく応募して通るほど甘くはない。倍率も結構高い場合が多いそうだ。
 ドラマを見ている人が、地域おこし協力隊に興味を持ってくれたら嬉しいが、実際の協力隊の仕事を知らずに、「あんな仕事に税金を使って」みたいな印象を持たれては困る。
 だいち、いくら恋愛ドラマでも、選んだ仕事にもそれなりの決着は付けて欲しい。

(おわり)

 追:
 『僕ら地域おこし協力隊』、とうとう出来上がった。これから取次へ搬入し、部数交渉に決着をつけ、12月10日ごろまでには書店に並ぶ。また若いスタッフが本書のエッセンスを抜き出し地域おこし協力隊のファーストガイドとなるフライヤーもつくった。こちらは無料でダウンロードできるし、主要書店には配布の協力をお願いしているところ。置いてくれるお店が増えて欲しい。

○リンク
『僕ら地域おこし協力隊』
http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/ISBN978-4-7615-1316-0.htm

遅咲きのヒマワリ(5) 地域おこし協力隊


 先回、「二階堂さんのお姉さんは、妹への対抗意識が高じて不倫を匂わせ、次回予告編では不倫相手のベッドのなか」と書いたけど、これは間違いだった。高知の既婚の先生と当てにならない恋をしていたのは今井春菜さん。島田さよりさん、ごめんなさい。どうも女の人の顔は区別が付かなくて・・・・

 今日は第5話。前半が終了ってことで、小平丈太郎君が、仲間たちの過去を次々と知っていく。まずは二階堂かほりさんと弘樹が昔つき合ったことを知り、弘樹の親父が荒れていることを知り、順一のお店が危機にあることも知る。

 一番の取り引き先の倒産に動揺した順一の親父さんが、お前を高知から出すべきだったというと、順一は「東京の大学にいったって、仕事なんかないさ。丈太郎も仕事がないからここにやってきたんだ」とやりかえす。「親父の時代とは違うんだ!」。だが親父は「そんなのは頑張りが足りないだけだ!」と一喝する。それを丈太郎は偶然聞いてしまう。

 そして、丈太郎が真木よう子に「東京にいたときも派遣で、どんなに頑張っても3年の契約だった」「地域おこし協力隊も3年なんだ」。頑張ってはいるんだけど何のために頑張っているのか分からなくなる。でもまずは救急救命の上級講習を受けようと思うと言うと、真木よう子が「いいんじゃない」「それ、凄くいいよ」と励ます。
 単純にも舞い上がった丈太郎は森下彩花さんに報告に走り、慌てた真木よう子が追いかけるも虚しく、彩花さんが弘樹君が同棲していることを知ってしまうと言う展開。
 このときの弘樹君。とてもハンサムに映っていた。メイクが違うんだろうか。
 真木よう子は、なんで丈太郎を追いかけるんだ? まだ恋もしていないのに・・・


 それはともかく今回も地域おこしの陰は薄かった。
 順一が古民家のお掃除を島田さよりさんに手伝ってもらうシーンはほんの一瞬。それもちょっと前まで宿に使われいたという古民家のなかに残っていた寝乱れた布団を前に二人がひるむという、意味深な場面だけだった。

 ただ、「地域おこし協力隊も3年契約」というのは事実。だが、これは派遣の3年とはちょっと意味が違う。もともとは地方への移住を促進するための制度なので、3年間の間に起業し定住するということも大きな狙いだ。ただ受け入れる地域によって温度差があり、強制もされないが、その狙いを丈太郎君は知らないという設定らしい。


 果たして、あと5回で、起業定住に向かうのか?
 真木よう子は東京には戻れないと覚悟してガンの専門誌を捨て高齢者医療の本を読んでいた。真木よう子とひっつくなら、やっぱ、起業するなり、なんなりしないとヒモに一直線。
 これからが楽しみだ。


 追:あとで思いついたんだけど、ほんのちょっとしか出てこなかった古民家の宿泊施設、管理者が高知にいってしまって空き家になっているということだから、あそこに住み着いて、宿泊業を再開するって手があるな。
   もし、料理も出せるようにすでに改造されているなら、その改造に何百万もかかっているはずだ。ほっておくのは勿体ない。

(おわり)

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http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/ISBN978-4-7615-1316-0.htm

トム・ピーターズ『サラリーマン大逆襲作戦〈1〉ブランド人になれ! 』

 山崎亮さんが乾久美子さんとの講演会で紹介していた本だ。彼がどんなビジネス書を読んでいるのか、気に入っているのか知りたくて買ってみた。
 たしかに、なかなか面白い。山崎さんの仕事スタイルにも結構使われているように思う。これは拾い物だった。
 ただし、よく紹介する反グローバリズムの本ではない。むしろ90年頃から始まった戦後の安定した秩序の崩壊をチャンスと捉え、手にした自由をどう生かすかという姿勢で一貫している。
 ただ、それがイヤらしく思えないのは、徹底して個人の自由に拘っているからだろう。
 会社奴隷がいいですか? それとも野垂れ死ぬ自由が良いですか?って問われたら、即座に「自由だ!」という独立不羈の精神があふれている。
 しかも、お金がすべてじゃない。お金は結果としてついてくるかもしれないが、大事なのはひたすら自分を高めていくことであり、世間の常識に挑戦し続けることだ。大事にしなければならないのは信頼、お客さんとともに生きること。そして売ることに夢中になれること。売る!売る!売る!・・・。

 ちなみにこの本は2000年に訳された本だが、94年に訳された本でも「けったいな会社」を創ろうとアジっていた。激動の時代が始まるちょっと前、80年にロバート・ウォーターマンとの共著で書かれた『エクセレント・カンパニー』が代表作だそうだが、そこでも「自主性と企業家精神」が強調されているようだ。その点では、たとえ今は会社にいても「私は雇われているんじゃない、私が会社だ」という気持ちを持て!という姿勢は一貫している人だ。

 彼がいう社会の激動は、そこまでドラスティックではないけれども、僕の身の回りでも起こっていた。90年頃から徐々に始まって、「これからは個人が売りだ!」という確信はあったものの、同じ会社にいるとそうそう変われないまま、ここまで来てしまった。あげく変化の悪い面だけが目立ってきているように思う。ピーターズがいう「真面目に、しかし安穏とサラリーマン道を歩いていると、そのうち道が消えてなくなり地底に真っ逆さま」みたいな事態が、とうとう身近になってきている。

 僕は、こういう極端な社会が良いとは思えない。それでも、今はそれが前提だというなら、会社奴隷よりは野垂れ死ぬ自由を選びたいと思う。 
 だから、そうありたいという心を持っている人にはお薦めの本だ。

 とはいえ、この本には200項目以上の「やってみよう」が書かれているが、これを十数個、明日から実行するのは厳しい。積極的にコミュニティ(人脈)をつくれ、朝食会や昼食会にどんどん参加し、また人を誘い出せと書かれているが、これが一番やってみたいが、そのまま実行するのは今は難しそうだ。朝食会も昼食会も、身の回りにない。もう少し現実的な方法を探してみよう。

(おわり)

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トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦〈1〉ブランド人になれ! (トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦 (1))

林直樹さん『過疎地域から始まる戦略的再編』を聞いて


 11月10日、京大の「安寧の都市ユニット」で、『撤退の農村計画』の林直樹さんの講演を久しぶりに聞いた。
 その日、打ち合わせのときに、しつこく、飽きず、本の広報を宜しくって言ったからか、最後に同行していた齋藤晋さんが壇上にあがり、本の内容をドーンと紹介して下さった。有り難い。著者の鑑!


 ところで、講演のなかで林さんは農村の消滅について、農村は心の故郷だ、なくなると淋しいといった存在価値を横においておくと、次の四つが問題なると言われた。
 一つは農業生産力の低下、
 二つは遊水地機能の喪失、
 三つは生物多様性の低下、
 そして農山村の知恵が消えること、
である。
 ただ林さんは最初の三つは大きな問題ではない、風説にすぎないと言う。
 まず、農業生産力は大規模に減反しているような現状では問題にならない。今、日本では7020平方キロの田で作付けされていない。だから山間地の田(2,516平方キロ)が失われても、他がしっかりしていれば大丈夫だ。
 また遊水地機能は過大評価されている。都市と比べれば農村の遊水地機能は抜群だが、農村が森にもどっても目立って低下しない。
 生物多様性は低下するが、それは人間が介在することで保たれていた生態系が縮小することであって、大自然が失われ種が絶滅することとは次元が違う。
 唯一、大問題なのが、農山村が育んできた自然を利用する知恵が失われることだが、これはあえて山間に留まる種火集落で保全、活用しようという主張だった。


 しかし林さん自身、講演のなかで散々強調していたが、問題はそんなことより人口減少のスピードだ。林さんは「1000年かけて2000万人に減るのなら、なんの問題もない。むしろ好ましい方向に向かっているとすら言える」という。だがこの150年で4倍に増え、これから100年で半減する。このままだと1000年後には10万程度に落ち込むというスピード。
 心の価値は脇において、と言われるが、次々と消滅する集落に心が耐えられるだろうか。
 都会にいれば関係がないとしても、団地も、下町も消えていく。人口減少といっても東京圏は人口が減らないと仮定すると、200年後には東京圏以外には人がいなくなるってことだ。人ごとではないと思う。


 もちろん、現実をきちんとみて、積極的撤退に踏み切る集落があっても良い。静かに生を終える集落もあるだろう。だけど人口が減っても、高齢化しても、なぜか明るい、という状況もつくらないと、山間部どころか、日本中が真っ暗になってしまいかねない。成長期の価値観で見ていたら、不幸になるだけ、ってことだ。
 シモンヌ・ド・ボーヴォワールは「老人はラディカルだ!」と言っていたらしい。古典だが読んだことがない。青年期だけが明るくて元気というのは、間違っているかもしれない。今度、読んでみたい。

(おわり)

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撤退の農村計画―過疎地域からはじまる戦略的再編

○参考
過疎集落が消滅するとどうなるのか―風説で農村を守ることはできない 横浜国立大学大学院環境情報研究院 林 直樹
http://www.47news.jp/47gj/latestnews/2012/10/1354793.html

遅咲きのヒマワリ(4) 地域おこし協力隊

 遅咲きのヒマワリ、今日は藤井順一が満を持して提案した商店街を復活させるための企画に商店主たちが反発。「東京もんの意見を」と水を向けられた丈太郎が脳天気に「ゆるキャラでも」というと採用されてしまう。順一はいたたまれず、丈太郎は困惑・・という、ありそうで、なさそうな展開で始まる。

 その後はそれぞれの煮え切らない恋愛模様が続く。根暗な松本君は突然、脈絡なく、二階堂さんに抱きつくし、二階堂さんのお姉さんは、妹への対抗意識が高じて不倫を匂わせ、次回予告編では不倫相手のベッドのなか。(←★これ間違い。ベッドのなかにいたのは、今井春菜(木村文乃)さんでした。島田さより(国仲涼子)さんがちょっと心を寄せているのは順一さんでした。)。

 常に元気だった順一さんが、今日は沈んでしまうなど、なんだか冴えない話が続く。
 そのうえ、「地域おこし協力隊」という言葉が全然出てこない。不吉だ。


 ドラマは、なぜか気を取り戻した順一さんが企画書改訂版に取り組み始めるところで終わったが、果たしてどういう修正をするのだろうか。
 順一さんの提案は空き店舗をサーファー向けの素泊まり2000円の宿に改装しようというものだった。
 旅館業法では宿泊施設は「ホテル」「旅館」「簡易宿所」「下宿」に分かれる。順一が考えているのは旅館やホテルでもないし、下宿でもなさそうだから「簡易宿所」なのだろう。
 ところが、この簡易宿所、簡易という名前だが結構ハードルが高く、適当な数の便所や洗面施設、それに銭湯が近くにない限り、入浴施設も必要になる。また店舗から簡易宿所へ用途を変えるには、確か建築確認申請が必要だ。これが邪魔くさい。

 一つの手は布団持参(寝袋持参)にすることで「お宿じゃないよ」と言って旅館業法の適用を免れ、したがって建築基準法上の用途転用もせず、シャワー、洗面の増設ぐらいでお茶を濁す方法だろうか?。ほんとうに合法なのかどうか、グレーな感じだし、どう決着させるのやら・・・。

 それにしても丈太郎君は山のなかで住民の送り迎えをし、祭りを復活し、商店街まで出向いてきて能天気な意見をいうなど、なかなかに忙しい。ドラマだから固いことは言わないとしても、今回は仕事に関しては全くの受け身。最終回までに果たして仕事の意味を見出せるのだろうか?ちょっと心配だ。

(おわり)

○『僕ら、地域おこし協力隊』
本のカバーとHPができました。
http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/ISBN978-4-7615-1316-0.htm
遅咲きのヒマワリに出てくる地域おこし協力隊ってなんだ?
http://www.gakugei-pub.jp/gakugeiclub/chiikiokosi/index.htm

過疎地域の戦略

 鳥取大学自治体と連携し、全学的に取り組んだ「鳥取大学持続的過疎社会形成研究プロジェクト」の成果をまとめた本。
 鳥取県知事だった片山善博さんが、「過疎地域で先駆的な取り組みをしている鳥取県の現場でのさまざまな実践を紹介しつつ、今後の可能性について考究」している本だと推薦してくださった。


 大学をあげてというだけあって、文系、理系、工学系、医学系と幅広い人たちが、様々な角度から研究・実践の成果を報告している。
 そなかでおやっと思った物の一つは「生活排水処理事業」の今後を取り上げた細井由彦さんの報告。田舎では個別処理が良いに決まっていると思っていたが、すでに集合処理が整備されているところでは、そうでもないらしい。というのは更新にあたっても管路や建屋などまだ利用できる施設があるからだそうだ。
 なにがなんでも集合処理から個別処理へという選択が良い訳ではなく、人口減少を睨みながら、最適の組合せを選ぶべきだという。すでに投資してしまったものは、うまく使わなければ損だということだ。分かりやすい。
 もちろん、その際、人口減少を過小に見積もると、またまた過大投資をすることになり、しかも簡単には撤退できなくなる。


 だからよほど慎重に考えなければならないのだが、自治体の総合計画を検証した小野達也さんの報告によると、過大な人口予測がつい最近まで多数派だったし、最近は人口予測を避けて通るような傾向があるそうだ。下手に現実を語ると「頑張りが足りない」と議会や市民に責められるのだろうか? 確かに衰退を認めるのは勇気がいる。かく言う僕も、「出版業界も同じ」ということは、頭では分かっても体がついていかない。今度こそ、なんて馬券を買うみたいなことをくり返してしまう。成長の夢って、やっぱり甘美だ。


 だからだろうか、どの自治体も子育て支援や雇用確保などの人口増加政策を掲げている。
 だが、どれだけの人口増をもたらすのか、その論理と目標値の十分な記述は皆無だという。子育て支援や雇用確保など、良い政策だと思うし、人口増加につながらなくてもやるべきだと思うが、だからといって甘い見通しをもって良い訳がない。
 また小野さんは企業誘致や中心市街地活性化など間接的な人口増加政策について、「人口減少自治体における開発・再開発政策はマイナスサム・ゲームの様相を呈しつつある」と厳しく指摘している。
 「非現実的な目標は計画自体の形骸化かを招き、かえって阻害要因になる」ということだ。

 とはいえ、中心市街地活性化について言えば、その名称からは活性化を目指しているように見えるが、実のところ、せいぜい現状維持、あるいは急激な低下を食い止めるというのが現実的な目標になっていると瀬田さんが『広域計画と地域の持続可能性』のなかで書いていた。分かっているところは分かっているのだろう。
 しかし「中心市街地の消滅を遅延させる政策」では意気が上がらないのも事実。「量」にかわる「質」で語れれば良いのだが・・・。中心市街地魅力化ってのはどうだろう。小規模になっても人間的で、ユニークな魅力があって、昔と比べれば人出は少なくても、その空間には人々の雑踏がある。そんなイメージじゃだめなんだろうか。


 だいぶ話がずれてしまったが、いろいろな試みが載っている本なので、一度、目次でも見て、気に入ったら読んで欲しい。

(おわり)

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過疎地域の戦略: 新たな地域社会づくりの仕組みと技術

広域計画と地域の持続可能性 (東大まちづくり大学院シリーズ)