『100円商店街・バル・まちゼミ〜お店が儲かるまちづくり』


 長坂泰之編著、齋藤一成・綾野昌幸・松井洋一郎・石上僚・尾崎弘和著による「商店街活性化・三種の神器の真髄を第一人者が大公開」という本が先月出版できた。企画・編集はスタッフの岩崎君だ。

 「100円商店街」は想像をはるかに超える集客力で賑わいを作る仕掛け。単に100円の工夫を凝らした商品を出すだけではなく、店内で精算することによってお店の内部に誘導し、店の様子を知ってもらうことに意義があるという。
 「バル」は共通チケットでまちの複数の飲食店を巡る試み。割安な値段で、それぞれの店のお得意の料理・お酒を楽しみながらまちを回遊できる。
 そして「まちゼミ」は店の人によるゼミナール。店の人の蘊蓄を聞けたり、お菓子作りなどの体験ができ、店の人の奥深さに触れることができる。

 これらに共通しているのは、楽しみ方を個々のお店が提案していることじゃないだろうか。
 とくに面白いのは、バル。まちによって違うらしいが、バルのマップがイベント後もまちの案内図になっていることもあるという。そこに載っているお店は、たとえバルで訪ねていなくても気、になってしまうだろう。



 ところでこのバル、本書でも触れているが発祥は函館の西部地区だ。
 実はこの西部地区、函館元町倶楽部代表の村岡武司さんが『証言・町並み保存』で語っているところによると、40年ほど前には人口が流出しゴーストタウンになっていたという。そこをもう一度、人が集まるような場所にしたいという動きが起こり、まず海産商の自宅を改装したペンション「古稀庵」、郵便局をカフェバーにした「カリフォルニア・ベイビー」などが生まれる。


 そして1983年頃、保存再生運動をうけて金森倉庫や郵便局の利活用が始まった。
 郵便局が生まれ変わったユニオンスクエアには、カフェバーやレストラン、クラフトショップといったお店が出たほか、大道芸やジャズの演奏会、映画会など多彩なイベントが繰り広げられた。ファッション誌等が背景として撮影しにくるようになったのも、この頃だという。
 そして2000年頃からは、ユニオンスクエアに出入りしていた若者が、西部地区にお店を出すようになった。たとえばゲンチョスというお店はアーティストが手づくりで再生したお店だ。


 そういう下地のあるところで、西部地区出身でスペイン料理オーソリティであった深谷宏治さんが、「何か楽しいことをやりたい」と2004年にスペイン料理フォーラムを開き、そのなかのイベントの一つとしてバル街をやったのが、元祖まちなかバルだという。


 村岡さんは「地図をもって歩くと「あんたもこのために来たんだと」すごく分かりやすい。お客さん同士で話ができるわけです。町を歩いていても「どこに行ってきたの?」「あそこの親父さん、すごく面白いよ」といった情報が、行ったり来たりする」。……西部地区は観光客は多いけれども、市民は夜はめったにいったことがなかった。「そこに自分の足で行き、初めて夜の雰囲気を味わう。次のお店に行こうと思うと、途中に変な路地があって、この路地の奥がどうなっているのかなと興味をそそられる。今まで頭のなかで分かっていたつもりの西部地区を、気軽に実体験できる。そこに喜びや楽しみがあるという気がします」と話している。

 さきほど「楽しみ方を個々のお店が提案している」と書いたが、これを読むと、複数のお店が連携することで、個々のお店の楽しみ方を超えて、まちそのものの楽しみ方を提案してくれていることが分かる。そのうえ、失われがちなコミュニケーション、大げさにいえばまちを楽しむ仲間意識も生み出している。


 三種の神器といっても、このような活動だけで、まちが元気になるわけではないだろう。
 函館の場合は40年間の歴史的建物の再生、利活用の積み重ねのうえに、若い人たちの個店が西部地区に増えてきたいたことで、バルが花開き、ますます活気づくことができた。
 だいち、40年前の西部地区では、バルをやろうにもお店がなかった。
 それを思えば、バルができるってことは、それだけの資源が既にあるということだ。

 100円商店街にしても、工夫をこらした商品を並べられなかったら、数回でお客さんは飽きてしまうだろうし、まちゼミはそもそもネタと人材がいなければ成り立たない。
 だから三種の神器は、すでにある地域資源を顕在化させ、人々とのコミュニケーションを取り戻すきっかけづくりなんだと思う。

(おわり)

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100円商店街・バル・まちゼミ: お店が儲かるまちづくり証言・町並み保存