成長は幻想か、解決策か

 「成長は幻想か、解決策か」という論説が京都新聞(11.29)に載っていた。
 成長派として取り上げられたのは民主党前原誠司さん。「問題を解決するには、成長により国力を上げるしかない」「中学校2年生のときに父親をなくしたものの、浪人を経て京大を卒業した自身の生い立ちを紹介。「専業主婦だった母が仕事を見つけることができたのも、また大学生になった私に探せばいくらでもアルバイトの先があったのも、結局、当時の日本経済が成長していたからではないでしょうか」」としている」という(『政権交代の試練』新潮社)。


 一方の成長は幻想派は同じく民主党枝野幸男さん。「途上国から安く買った資源を、欧米より安い労働力で作った製品を安く大量に売る」という成功モデルは通用しなくなったと結論づけているという(『叩かれても言わねばならないことがある』東洋経済新報社)。


 枝野さんの本は読んだ。帯には「成長や改革は幻想だ。拍手喝采される政治は嘘。東京に使用済み核燃料の受け入れを求める。官邸デモは有効である」と刺激的な言葉が並ぶ。
 さらに刺激的なのは、「日本は1868年の明治維新から近代化と「坂の上の雲」を目ざして歩み、1980年代の後半のバブル期、その頂きにたどり着き、雲をつかんだ。たどり着いた先で上を見て、まだ雲がないかずっと探し続けているのが、この20年間だった」という言葉だ。この20年間のむなしさが読みとれる。


 これは言ってみれば幸せとは何か、国家の目的は何かという根本的なところでの違いだ。原発や消費税などの見かけの争点よりも、もっと根深い。なのにここまで真逆の価値観をもっている人が同じ政党で国家戦略担当相と経済産業相という要職についているのは、どうしてだろう。

 本来は、変わってしまった世界、脱近代にどう立ち向かうかが、対立軸となり、選択肢となるべきだろう。小政党がいっぱい出来ているけれども、ここのところをはっきり主張している政党はない。嘉田さんは「もったいない」という言葉を世界にひろめた人だけに期待していたのだが、原発に争点を絞るために肝心のところを後景に押しやってしまっているように見える。

 枝野さんはさらに、2017年には日本の貿易収支は赤字基調になり、東京直下型地震が起こる確率より遥かに高い確率でハイパーインフレになると断じている。また成長が回復してから増税すれば良いという議論に対しては、「いまだに成長幻想に浸った見方だ。景気がよくなれば金利が上がる。財政はその瞬間に破綻する恐れすらある。少なくとも景気が良くなった分だけ、返すべき借金は増える」「景気が回復するまでは借金を重ねようという安易な姿勢でいると、間違いなくマーケットに狙われる」とまで断じている。
 対して自民党の阿部さんは日銀に引き受けさせてでも国債を増発して公共事業を増やすのだそうだ。

 もしこれが一家族の話なら、借金を返しながら金のかからない幸せを探すか、一発逆転を信じてサラ金に走るかという選択だ。サラ金に走るのは絶対にダメというほどの知識はないが、少なくとも日本の伝統的な心とはど遠いと思う。なのに日本!、日本!という人に限って安楽な道を主張しているように見えてならない。

(おわり)