山口誠『ニッポンの海外旅行〜若者と観光メディアの50年史』(1)


 面白い文化誌を読んだので紹介しよう。
 著者はメディアや文化を研究している社会学者。73年生まれなので、まだ40前の方だ。


 「はじめに」では「なぜ最近の若者は海外旅行に行かなくなったのか」という問題を取り上げている。その見出しだけを見ると、観光関係者、とりわけ実業のかたは、ほうっておけない本だと思うだろう。


 その解答を得るために、海外旅行が若者たちの憧れだった時代、そこにどのような旅のスタイルと魅力があったのかを探ってみようという出だしである。


 では、どういうスタイルだったのか。
 著者は「歩く旅」に着目し、その発展を追っている。

若者の一人旅の確立

若者が海外旅行に行けなかった時代

 歩く旅以前は1960年頃まで。これは物理的には歩いた旅なのだろうが、著者の言う歩く旅以前の時代だ。
 江戸・明治はもちろん戦前も含めて海外旅行が特別なものだった。
 たとえば戦前に多かった朝鮮半島満州の旅は、日本帝国の偉業を確かめにいく、軍国の時代の巡礼の旅だったという。なにか、そういったもっともらしい大義名分がなければ海外にいくことが考えられなかった時代だ。
 したがって、若者が海外に旅行にいくことも、まずなかった。

歩く旅の始まり。「節約旅行」


 次が60年代から70年代初頭、本格的なマスツーリズム以前、小田実の『なんでも見てやろう』、フロンマーの『ヨーロッパ1日5ドルの旅』の時代だ。
 ただし、これは後の貧乏旅行とは違って、地元の人々との交流をもとめ、地元の人たちの日常に溶け込む旅だった。著者の言い方では「人々の織り成す社会的文脈に入っていくこと、つまり文脈化する」(p81)ために、あえて選択する節約旅行だという。


 そこには、観光客専用のお店に行ったり、観光バスの車窓から街を眺めるのではなく、地元の人達が行くお店でゆっくりと過ごす。「旅をするなら、お金を少なく使うほど、より楽しめる」(フロンマー)という考えが込められていた。


 お薦めの携行品には、男性にはネクタイに革靴、女性にはハイヒールや宝石、コットンのドレスが挙げられているというから、たとえば劇場にもたまには行こうということだろう。

地球の歩き方』とバックパッカー第一世代

 『地球の歩き方』は、ダイヤモンド・ビッグ社の学生旅行部門DSTの自由旅行が母体だったという。
 自由旅行は、当初は添乗員サービスなどもそれなりについたツアーだったのだが、ライバルのリクルートがやや高級路線で攻めてきたのたいして、安く長く海外にいけることに特化して対抗する。
 リクルートのツアーとDSTのツアーが空港のカウンターで並ぶと、前者は高そうなスーツケースがずらりと並んだのに対して、後者はバックパックがずらっと並んだのだそうだ。


 だから『地球の歩き方』は、節約旅行の精神を引き継ぎつつも、ネクタイやハイヒールを排し、バックパックを推奨した。


 『地球の歩き方』は、フロンマーと同様に旅先の日常生活に文脈化しようという意図から、歩く旅を推奨したのだが、結局、節約旅行ではなく、貧乏旅行を切り開くことになった。


 そこには言葉の壁もあった。フロンマーの節約旅行は地元の人びとがいく小さな食堂などを好んで紹介しているのに対して、『地球の歩き方』は旅行者が現地の人々と言葉を交わさなくても宿泊施設に直行できるように配慮されていた。「ふつうの旅の行動のなかではあまり言葉を使う必要もチャンスもない」(『地球の歩き方・ヨーロッパ編』初版)のだそうだ。


 たしかに、それなりの教育を受けてきた学生でも、外国語を本格的に話す機会はまずない時代だった。大学に外国人なんていなかった。当時の学生にとって、会話は荷が重すぎたのだろう。

僕自身はというと

 僕は年代的にはこの第一世代と、次に紹介する第二世代の中間ぐらいにあたる。
 はじめて海外にいったのはバイト先の人にお供しての調査旅行だった。一人で行ったのは、80年代半ば、格安航空券が市場に出回り始めた頃、UAのマニラ往復五万円のチケットで、フィリピンのイフガオ族の棚田まで行ってきた一週間ほどの旅だった。


 その後は、すべて連れ合いと一緒だったので、ほんとの一人旅はその一回切りだったような気がする。
 だが、フロンマーの旅先の日常に溶け込む旅に共感してしまうのは何故だろう。
 海外にいくとなると、張り切って言葉を勉強したり、歴史書を買ってきた。そして、ちょっとでも言葉を交わせると、とても嬉しかったことを覚えている。


 そそれはそうと、もう7、8年、海外旅行に行っていない。
 円が高いうちに一回で良いから数カ月、地球をのんびり、気持ちは贅沢に歩いてみたい。


続く


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