『都市計画の新たな挑戦』いよいよ組み版(3)


 昨日までに紹介した佐藤滋さんの論を僕なりに考えてみたい。

エネルギッシュ!、情熱が溢れる文章

 以上、佐藤さんの主張をざっくり要約させていただいたが、エネルギッシュで情熱溢れる文書を伝えることはできない。また中味はじっくり全文を読んでいただき確認いただきたい。


 さらに簡単に要約すれば、もう補助金もあてにできないし、自分たちでなんとかするしかないが、一人ではできない。だから自らまちづくり市民事業を実行できるまちづくり連携組織をいかに生成するかが第一のポイント。そして、そういった動きを都市計画がいかに支えるかが第二のポイントだろう。


 その際、いわば「ソフト・ハードに関わる多様で複雑な課題を統合的に解決する方法のとして、ソフトを含みつつも最終的には物的な世界、構築環境に還元させて問題解決を図る「施策統合を実現する仕組みとしての都市計画」である」という点が肝だ。
 だから、施策統合のためには、地域主権のもとで都市計画マスタープランと自治法による総合計画が統合されなければならない、とされている。


 ここは私は若干なじめない。
 総合計画と統合された都市計画というより、都市計画も統合した総合計画が、ソフトとハードをどう整理し、位置づけ、整合させていくのか。そのとき、都市計画をどう使っていくのか、というほうがしっくりくる。


 家庭を例に考えてみれば、実現したい家族像が、家の購入とか改築をともなうとは限らない。たとえば老後は○○をしたいという場合、増築が必要かもしれないが、夫婦2人でのんびり過ごすというソフトだけという場合だってあるだろう。その場合は、構築環境はそのままでも良いかもしれない。


 同様の質問を本書の編者である蓑原敬さんのセミナーでもしてみた。


 「近隣レベルにおいても、広域レベルにおいても、ご提案は従来の都市計画を大きく超えて、ほとんどの行政分野を包含するものではないでしょうか。
 なのに国土利用計画法都市計画法を一体化して全国を都市田園計画で覆うといわれると、なんだか都市計画が帝国主義的拡張を始めるような印象を受けます。また国交省がでばってくるのかという感じです」。


 「まちづくりの基本となる政策(計画)があって、都市計画や農業政策なり産業政策等々が馳せ参じるという感じにはならないものでしょうか」。


 それに対する蓑原さんの回答は、「自治体がきちんと一元化できる法律構造をつくったうえで、知事なり市長なりがそういうことをきちんとフォローできるようにする」。その法律は内閣府が所管しても良い。しかし国交省以外のところでまともに空間について考えている役所はどこにもない。だから、空間的に一元化するといういうことになれば、国土利用計画法都市計画法を包含するものとして考えていくのが妥当だ。だか、その法律は内閣府が所管しても良い。いやすべきだろう、というものだった。(詳しくはなんらかの形で記録を公表しますので、ご期待ください。)


 佐藤さんも、国交省が所管している現在の狭い意味での都市計画を想定して言われているわけではないのだろう。だが、そのような先進的な考え方が世間の常識ではない。どうしても都市計画とかいうと開発優先でソフト軽視の臭いがつきまとう。だからつい、警戒してしまう。


 だが、問題はそういう話ではないだろう。
 むしろ、都市計画の改革と並行し、自治体の政策全体の改革を進め、都市計画の意味合いを大きく変えていきたいものだ。

(おわり)



○アマゾンリンク(佐藤滋さんの本)


原敬、佐藤滋ほか『都市計画の挑戦―新しい公共性を求めて』(学芸出版社、2000)


佐藤滋ほか『まちづくりデザインゲーム』(学芸出版社、2005)


佐藤滋ほか『まちづくりの科学』(鹿島出版会、1999)


佐藤 滋+城下町都市研究体『図説 城下町都市』(鹿島出版会、2002)