『都市計画の新たな挑戦』いよいよ脱稿(西村幸夫編1)

『都市計画の新たな挑戦』

 5月14日に紹介した蓑原敬編著『都市計画の新たな挑戦』の西村幸夫さんの原稿が届いた。
 これで原稿が揃った。いよいよ初校づくりだ。


 この本の狙いについては編者の蓑原敬さんがインタビュー「『都市計画の新たな挑戦』を語る」で熱く語っている。また共著者の一人、佐藤滋さんのインタビューも撮ってきたので、近いうちに公開したいが、今日はまず、西村さんの原稿を紹介しよう。

西村幸夫「近代都市計画の中間決算」

 西村さんは狭い意味の都市計画の専門家ではない。
 私の印象では、町並み保全や景観・風景づくりのための「仕組みづくり」の第一人者だろうか。
 本人は自身をフィジカル・プランナー/デザイナーと原稿のなかで位置づけておられるが、フィジカルの難しげな感じ、プランナーやデザイナーの「一般人とは違うんだぜ」みたいな感じがしない方だ。
 (カタカナだからと、そんな印象を持つのは、いまどき僕だけか?)。

都市計画への六つの疑問

 西村さんは前半で六つの疑問を上げられる。

(1)都市計画規制は結果として魅力ある都市空間をつくったか

 日本の都市計画規制は、敷地への規制・配慮はほとんどなく、敷地単位で隣への迷惑を過大としない程度の規制がかけられている。
 そこには建築様式といった概念すらなく、第1種低層住居専用地域ですら、庭付き一戸建て様式を暗黙の希望としながらも、連棟型の集合住宅でも木賃アパートでも許容してしまう。
 だから魅力ある都市空間は作れなかった。

(2)ゾーニングはまだ有効か

 ゾーニングは、右肩上がりの変化、活発な建設活動を背景に、用途純化、最適な機能配置など、単純で静態的な都市像を実現しようというものだ。
 右肩上がりの変化が期待できず、単純な都市像も求められていない今、その有効性は限定的になっている。

(3)容積率規制は機能しているか

 日本の容積率規制は、「この容積までは自由に使っても差し支えない」「それを超えるなら公共的な貢献をして下さい」といった形で機能してきた。総合設計等における公開空地がその例だろう。
 しかし今、ほとんどの地域で、容積ボーナスをほしがるような開発がなくなった。かりにインセンティブが開発を惹きつけても、今度は周辺から突出してしまう。
 また敷地規模が大きいと、同じ容積率でも周辺と全く違った形態の建物を許容してしまうし、郊外ショッピングセンターのような開発密度が低いものには有効な規制として働かない。

(4)都市計画にはなぜ、歴史や文化を尊重する規定がないのか

 建築基準法はもちろん、都市計画も生存権としての文化しか考慮していない。今、求められる歴史や都市の文化性には関心がなく、せいぜい、文化財には遠慮するだけである。
 それ以外のものには、あまねく「新しい都市を造るための法律を適用して、○か×かを峻別するという傾向が色濃い。歴史と安全性や快適性等を総合判断し、創意工夫して△を生み出すといった発想は乏しい」。

(5)都市計画にはなぜ、周辺環境との調和、居住環境の保全に関する視点がないのか

 都市計画法の第二条にある都市計画の目的が「調和のとれた魅力的なまちとそこでの生活の確保」と読めたとしても、「財産権の保証の壁は厚く、標準化した集団規定としての隣地斜線や北側斜線、密度規定や土地利用規定を大枠として用意するという域を出ていない」。
 言い換えれば、建築の自由(経済発展!?)のほうがエライというわけだ。

(6)都市計画はなぜ農村を対象としないのか

 「農地も住宅地も商業地も、人間活動が行われている場所という意味では同様の立地の論理と圧力のもとに置かれているのであるから、本来ならば、全体を見通した共通の目的を持った単一の行政計画が立案されなければならない」が、そうはなっていない。
 その結果、もともと渾然一体としていた都市と農村は、その縁辺部において「政策目的が全く異なった農業政策と都市政策とが隣り合うという不自然なものにならざるを得なかった」。


(続く)


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・蓑原敬、西村幸夫ほか著『都市計画の挑戦―新しい公共性を求めて』(2000)