「地域づくりの視点から都市計画制度に提案する」連続ワークショップ〜その2(続き)〜


 連続ワークショップの2回目、最後は山本一馬さんから都市計画教育について提案があった。
 次回は8月4日(水)。是非、参加ください。

提案06.都市計画に都市計画教育を位置づける

デンマークから日本を考える

 最初に「官僚たちの夏」のオープニングシーンの紹介があった。ビデオがうまく動かなかったのだが、そこでは道路が舗装され、高速道路ができ、ビルが建ち上がってくる様子が映すされているという。一般の人たちの都市計画のイメージは、まさにこういうシーンではないかと山本さんは言う。
 一方、山本さんが考える都市計画として提示されたのはデンマークの住宅地と一体となった学校の写真。そこでは学校と住宅が同じような素材で造られ、その境界も見えず、素晴らしい環境をつくっている。
 日本の都市計画は境界をつくり、壁をつくってきた。今、その境界を取り払おうという時代になっているが、公の側からこれを行うのは難しい。ならば、住民から言えないか。
 デンマークでは都市計画も教育も教員の任命権も、コミュニティが持っている。社会のありようも日本とあまりに違う。
 たとえば市役所のなかに映画館がある。これはPFIとかでやっているのではない。市場が提供できなくても、地域に必要なものなら自治体が担保する。小さな政府ではなく、大きな政府という思想だ。教育のあり方も違う。
 だが、コミュニティがコミュニティを自ら運営するという点では、大いに参考になるのではないか。


 私(山本)は京都の有隣地区で地区計画をつくるお手伝いをした(『住民主体の都市計画』参照)。
 有隣地区は古くからの学区で、郊外に子どもたちの教育のための学舎を持っているぐらいで、意思決定ができる町だ。その有隣でも地区計画には3年もかかった。こんな手間暇をかかることを、一般に広げるのは無理ではないか。

自治なくして都市計画の分権なし

 都市計画だけで分権を進めて行こうという話にも無理があるのではないか。
 今、各地でコミュニティの改革が進められている。小学校区単位で地域を代表する自治組織をつくり、今まで社協や町内会などに縦割りで渡されていた補助金をまとめ、それなりのお金、たとえば300万とかを一括で交付しようという動きが盛んだ。
 このようなことが進めば、そういった自治組織が都市計画までやるようになるのではないか。地域自治に都市計画も入るべきではないかと思う。
 こういうことを考えず、都市計画だけで議論するのは、いかがなものか?


 若手職員が年、何日かは地域に入ると行った仕組みも試行されている。しかし職員が分かっていない。職員も住民も、団体自治と住民自治があることも知らない。
 そんな状態で都市計画を任せられるか。都市計画を変えるなら、自治についてのそもそもの理解を深める必要がある。住民自治と団体自治をつなぐものとして都市計画を考えてはどうか。
 これが根本的な問題意識だ。
 あと、雑誌では、CABEとかシャレット、また子どもたちに都市づくりを仮想体験してもらうシミュレーション・ゲームであるミニ・ミュンヘンなどの仕組みや活動を紹介している。そこでは専門家も活躍している。


 ここで一番大切なことは、普通のおばちゃん、おじちゃんたちが、普通のまちの話題の一つとして都市計画を話していることだ。デンマークでも、阿部さんが紹介されたバルセロナでもそうだ。専門家の提起に反応する世論があること、これが大事だ。だから都市計画教育が必要だと思う、といったお話だった。

議論に触発されて

 議論は大きく2つあったと思う。
 一つは自治の単位と都市計画の単位をどう考えるか。
 また、都市計画教育を小中学校、高校に持ち込むことの是非、可能性である。

自治の単位、都市計画の単位

 山本さんが指摘されたように、今、自治の分野では地域内分権が試行されている。
 その場合、多くは小中学校単位だと聞いている。



 山本さんは中学校区では大きすぎる、小学校区ぐらいがちょうど良いと言うが、会場からは町内会単位のほうが地区計画や建築協定に馴染みやすいのではないかといった意見、また町内会はもっと評価しても良いのではないか。たとえば長谷川貴陽史さんの『コミュニティと法』では、建築協定、地区計画を論じながら町内会を高く評価している。これを読んで町内会への見方を変えたという意見も出た。
 また小学校区といっても、地域の変化は激しく、昔のようなコミュニティの単位として成り立っているとは限らないという指摘もあった。


 僕は、山本さんのと都市計画だけで住民への分権を議論していて良いのか、という問題提起はとても大事だと思う。

 しかし僕は、小中学校単位で自治組織が作られたとしても、何もすべての都市計画がその単位でなされる必要はないと思う。当然、市レベルで決められることもあるし、町内会や、より小さな単位でつくられることがあっても良いだろう。
 ただ、福祉だ、防災だ、なんだかんだと縦割りで組織が地域につくられるのではなく、地域を代表する自治組織に一度まとめられることは大事ではないか。


 そして、総合計画や都市計画マスタープランの地域版のように、小学校や中学校といったまとまりごとに、いろいろな課題をまとめて考え、どうしていきたいのかを考えることが必要ではないかと思う。


 それらをより深化する形で、より小さな単位で、より詳細な都市計画や都市計画的なルールを決めることは、なにも問題はない。逆に、それらと対立する形、たとえば閑静な住宅地を目ざす地区のなかで、併用住宅や小さな商業を奨励したい町内会があったとしたら、バトルをすることになる。ひょっとすると市もしゃしゃり出てこざるを得なくなるかもしれない。


 それは仕方がないと言うか、そういう段階的な話し合いの仕組み、意思決定の仕組みがあったほうが、地に足がついた解決が見いだされる可能性は大きいのではないか。自分たちの地域のことは自分たちが決めるとは言っても、その自分たちの地域の範囲は町内会レベルもあれば、小中学校区の場合もあれば、区や市、県のレベルだってあるのだから、一つのレベルに集約することは無理だろう。


 問題は特集の提案20で論じられている「住民の総意を確認する」ことができるか、その住民を特定できるか、それは地権者なのか、借家人や働きに来ているだけの人は含まないのか、といったことと、地域自治の仕組みのをどう関連づけるかではないか。

都市計画教育を学校教育に持ち込めるか

 山本さんが言われるように、普通の市民の普通の会話に都市計画や関連する話題が出てきて、普通の感覚で是非が話されるようになることは理想だ。
 鳴海邦碩さんも、これからは小さな子どもたちに伝えていかなければどうしようもないと言われていた。
 だから学校教育で、なんとか都市計画の本質的なところを教える機会が欲しいという気持ちは分かる。
 また高校ぐらいになれば用途地域ぐらいは教えるべきというのも、その通りだろう。高卒で働いて家を買う人もいる。彼ら彼女らが、へんな物を掴まされないためには、都市計画の知識も必要だろう。だいいち、大学を出ていてもそんなことを知らない人も多い。


 しかし、山本さん自身が悩んでられたが、算数も教えなければいけない、国語も必要だ、最近は英語までやらなきゃならんというなかで、どうして都市計画やまちづくりを教えることに理解が得られるのか。


 加えて、都市計画の本質的なところと言うのは優しいが、専門家すら、その心が分からなくなっているのではないかととの指摘があった。
 まして、小中学校でどう教えるかとなると、これは難問だ。環境教育のなかで町を考えるという海外の本をみたことはあるが、日本のものは知らない。

教育現場とのすれ違い


 また、総合学習建築士が出向いていって、まち歩きしながら、まちのことを教えるといった試みも『体験まちづくり学習』という本でまとめてもらった。高校生を対象に、実務的な消費者教育ではなく、まちの見方を教えるという真っ正面からのものだったが、書店ではまるで売れなかった。
 学校関係者も建築・都市計画関係者も、興味がないのだろう。


 一方、今は観光と関連づけて、子どもたちに地域のお宝発見をしてもらい、それを来訪者に説明するという趣向の授業が盛り上がっているという。国交省も今は熱心だが、どちらかというと学校現場から取り組みが始まったと聞く。


 なぜ、盛り上がっているのか、僕には良く分からないのだが、学校教育に持ち込みたいなら、やっぱり現場のニーズを探り当てないとダメだろう。

教育の目的に「地域を知り、地域に参画する」を入れられないか

 また提案のタイトルは「都市計画に都市計画教育を位置づける」だが、都市計画法が教育に口を出すのはいかがなものか?
 最初に山本さんが紹介されたように、都市計画は道を舗装し、高速道路をつくり、ビルを建るための法律だ、というぐらいにしか理解されていない。法律にも「都市の健全な発展と秩序ある整備を図り」「機能的な都市活動を確保すべきこと」「土地の合理的な利用が図られるべきこと」が基本理念だとある。まあ、冒頭のシーンは当たらずとも遠からずではないか。


 そんな都市計画が教育に口を出すとなれば、開発優先を子どもたちに植え付けるのかと誤解されるに違いない。いや、法がそうなっている以上、「土地の合理的な利用」を教えることになってしまうだろう。


 現実を無視して言えば、むしろ教育基本法こそ変えるべきだと思う。教育基本法には「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと」とはあるが、地域への言及はない。
 「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」はあるが、 国が前面に出ていて、地域はかすんでいる。山本さんが言う地域自治(住民自治、団体自治)の基盤となる地域なんて観点はない。
 この時代錯誤の国家主義的な教育目的を、地域を知り、地域を愛し、地域に参画することから、国や世界に繋がっていくという地域自治にふさわしい物に変えていくべきではないか、と思う。

地域への人の関わりを教える

 議論のなかでは、大人が地域に関わっていることを知って欲しい。何十年単位で地域は動いていく。そこに係わる人がいる。「○○さんが頑張ったからこの地区はこうなっているんだ」とか「お前のじいさん、凄いことをやったな」「あのとき、お父さん達が我慢したから、こうなっている」等等を伝えてはどうかという提案が出ていた。
 これは良いと思う。
 これこそ、「地域を知り、地域を愛し、地域に参画する」ことを教える事ではないだろうか。そのときに「こんな約束ができたんだ」と教えても良い。
 教育基本法がどうのという議論はさておき、こんなところから総合学習などで取り組んでいったらどうだろうか。


○連続ワークショップ
「地域づくりの視点から都市計画制度に提案する」連続ワークショップ
 2010年6月24日(木)、7月8日(木)、8月4日(水)、8月18日(水) の全4回
 18時〜20時30分(最大延長:21時まで)、参加費たったの100円!


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・『季刊まちづくり 26


・住民主体のまちづくり研究ネットワーク編著『住民主体の都市計画―まちづくりへの役立て方』山本一馬「9-1 マンション居住者との交流からはじまった地域自治のルールづくり〜京都市有隣まちづくり委員会の活動」


長谷川貴陽史『都市コミュニティと法―建築協定・地区計画による公共空間の形成


高田光雄、京都府建築士会まちづくり委員会編著、京都市立日吉ヶ丘高等学校家庭科、京都市立高等学校家庭科研究会協力『体験!まちづくり学習