「地域づくりの視点から都市計画制度に提案する」連続ワークショップ第1回

連続ワークショップとは


 『季刊まちづくり』26号の特集「地域づくりの視点から都市計画制度に提案する」の筆者による報告と討議を行う連続ワークショップが始まった。
 第1回は下記の内容だった。

  • 特集全体の解説:米野史健※
  • 提案24.時限的な規制の方策を組み入れる:米野史健※+石田武+山本一馬+泉英明
  • 提案05.住民がまちの定期検診を実施する:栗山尚子※+米野史健

※が発表者


 なお東京方面の執筆者によって、5月に公開読書会が行われている。その様子は、饗庭伸さんのブログ「都市計画法改正をめぐるダイアローグ(1)」や、編集長の八甫谷さんのブログ「取材余話(3)」に紹介されている。

特集全体の解説(米野解説)

 まず最初に米野さんから特集全体の解説、とりわけ近年の国交省の動きについて解説があった。数年前から改正が準備され、部分的には今年にも実現されるという話だったが、政権交代で休止状態になった。
 ようやく5月に社会資本整備審議会の新体制も整い、都市計画法の改正を検討していた都市計画制度小委員会も再開されたという。
 果たして参院選後、どうなるのか。米野さんからは言及がなかったが、地域主権そのものの行方とともに政治的には五里霧中というところだろうか。


 ただ、この特集の意味を理解するうえで重要なのは、民間提案への米野さんの評価だろう。
 26号p18にあるように全国市長会、民間財団、弁護士連合会、専門家団体などから多数の改正案が提案されているが、米野さんによると

という点では共通しており、国交省政権交代以前に公表していた姿勢もまた、似通っているという。
 各政党も地方分権の方向への改革におおむね賛成している。
 だから大筋は、そういった方向に改正議論が進むものとして、では、個々の具体のパーツをどうするかを提案したのが26号の特集だということだった。
 26号の寄稿記事にも確かに似たようなことは書いてあるが、この点はやや分かりにくかったように思う。ワークショップに出た甲斐がこれだけでもあった。


 なお、本書の以下の構成は「都市計画の主体・担い手は誰か」「都市計画の内容と実現手法の合理性」「決め方に関する論点」「運用に関する論点」「都市計画制度が目ざすべき方向」の5本柱である。

時限的な規制の方策を組み入れる(米野提案)

 これは「運用に関する論点」に関わる二つ目の提案だ。
 米野さんの趣旨説明によると、都市計画は長期的な視野で考えるべきとされてきたが、現実の都市の動きは、長期トレンドにそって徐々に変化するものではなくなっている。
 景気がよくなると特定の地区で急に開発が起こり混乱が起こるが、都市計画は急には対応出来ない。どうしよう、こうしようと右往左往し、ようやく対策が定まってきた頃には、市場が冷え、「今さら規制を強化しても対象となるような建設は起こらないから、まあいいや」となってしまったり、時には「こんな不況のときに規制強化なんて、地域の活力を奪いかねない」という意見が多数派になることもある。

 そのため高度地区の指定と特例許可を活用している例もあるが、もっと積極的に位置づけたい。
 そこで、時限的な制度としてp93の図にあるように次の四つのタイプを提案するという。


 1)緊急的対応
  急激な開発圧力に正規の都市計画手続きでは間に合わないとき
  ただし2)と異なり、期間終了後、現状に復帰
 2)検討時猶予
  行政や住民合意が検討中に建ってしまっては困るので、一時的に規制強化。
 3)期間内合意
  10年といった一定期間のみ、規制内容を変更。
  その次の10年は、そのときにふさわしい規制に変更。
 4)段階的実現
  将来的な目標像はあるが、急激に変えると軋轢もあるので、段階的に実施


 課題としては適用する地域をどうするか、期間はどうか、正当性を担保するプロセスは、といったことがあると報告された。


 質疑で僕は「緊急的避難や激変緩和の段階的適用は理解できるが、それは今の都市計画がおかしいために出てしまうやむえない措置ではないか。やはり都市計画は簡単に変えて欲しくない。せっかく大金をはたいてビルを建てても、規制が変わって安いビルが隣にできるよ
うでは安心して投資できないのではないか」と言った。
 仮に景気に合わせて都市計画を変えるとするなら、賦課金、付加義務のようなものを変える程度にとどめ、100年持つかもしれない建物の形態を変えるのは行き過ぎだと思う。


 会場からも、そもそも日本の都市計画は安定性に乏しく、建築基準法で勝手に容積を増やしているようなときに、こういう制度をいれると余計に混乱するのではないかという意見が多かった。
 また強制である以上、公平性の担保ができるのか、開発利益は誰に帰属すべきかを議論しておかないと、「あいつは得して僕は損」みたいな議論になってしまう、という指摘も大きい。
 賛成意見としては「検討時猶予のような仕組みは住民提案の際に有効」ではないかという指摘があった。


 ここで、やや分かりにくいのは「検討時猶予」や「段階的実現」のように、あるべき将来像にむけた規制はあるべきだが、すぐには実現できないという場合に対する提案と、そもそも将来像は不安定で決めかねるが、急激な変化は一時的にとめようとか、ともかく10年ぐらいは試してみようという、漸進的というより試行錯誤的な都市計画を良しとする提案が一緒に論じられている点だ。


 前者については数十年前の都市計画がつくってしまった幻想や既得権を崩していくためには必要だと思う。
 後者のうち「急激な変化はイヤ」は気持ちは分かるけれども、不公平感は免れない。


 いま、僕が相続対策でマンションを建てようとしたらダメと言われ、バブルが終わって、僕がすっからかんになったときに、隣のおじさんがマンションを建てられるとしたら、腹が立つ。「年間5棟以上のマンションはだめ。どれが良いかは毎年抽選」とでもするのだろうか?


 一方、期間限定で自由自在に規制をかえてゆくのは、取り返しのつかないものは本来やるべきではないのではないか。
 極論をすれば、この10年は壁はすべからく黄色に塗ろうというオズの魔法使いみたいな話なら、時代が変われば塗り替えればすむ。用途も、この10年は風俗歓迎にしようぜ、としたとしても、次には新規を禁止とすることもできないわけではない。


 米野さんは「提案されている内容がどのような「地域」や「対象」で使われるか」を説明すべきだったかもしれないと言われていたが、まったくその通りだ。


 しかし、現状とも、ありうる将来像ともかけ離れた緩い規制が当たり前となってしまった今、しかも将来が見通せないときに、都市計画を現実に寄り添わせるきっかけとしては、とても面白く意義深い提案だと思う。

住民がまちの定期検診を実施する(栗山提案)

 これは栗山さんの「主体・担い手」に関わる提案だ。
 住民組織がつくられる「初動期」や、計画が検討される「計画期」にはそれなりの補助・支援があるが、計画策定後の活動への補助・支援が乏しい。
 また計画策定後も自律的に活動を継続する組織は、都市計画だけではカバーできないところまで課題が広がる傾向が強いが、都市計画系の部署はコミュニティ活動を支援することはできない。
 一方、計画策定後、活動が停滞しマンネリ化している組織にも、惰性で補助が続けられていることがある。


 そこで第一の提案は支援の総合化。行政の支援制度の整理を行い、部署に拘らずに、課題に応じた支援ができるようにする。
 そして第二に、都市計画のアフターフォロー、検証においても住民の役割を位置づけ、策定した団体が構想や計画と現状を照らし合わせるための定期検診を行うこととし、それを支援する制度を作ろうという提案だった。


 議論は活発だったが、ここでも「提案されている内容がどのような「地域」や「対象」で使われるかをもう少し明快にして議論すべきだったと思う。僕の質問、意見が余計に混乱させた面もあった。反省。
 都市計画の話だったことを忘れて、まちづくりに目を奪われると、まちづくりの課題が都市計画に止まらないために議論が拡散する。


 ただし、都市計画を決めるための組織、福祉計画を決めるための組織、防犯防災を目ざす組織等々、法律や事業に応じて住民組織を作り上げ、支援しようとするところに無理があるというのも事実。
 そのうえ最近は地域内分権といった議論があり、近隣政府のようなものの議論もある。その場合、都市計画も地域内分権される筈だ。
 言い換えれば饗庭さんが「提案20 住民の総意を確認するツールをビルトインする」で書いているように、小さなまちづくり(都市計画)に対応する「住民の総意を決める方法」が自治の議論と別にあるのかどうか、ということでもある。


 反省しておきながら、さらに話をややこしくしてしまった。
 議論では、「他人の権利を制限するようなことは住民は誰もやりたくない」「決める主体としては自治体・町内会程度の範囲が現実的。小学校・中学校区のような大きな範囲では地域ボスが頑張るだけ」という指摘もあった。
 また「コントロールはずっと続けることに意味があるかもしれないが、事業は終われば終わり」「しかし、再開発でも管理をどうするという話はある。ただし住民が自立的に立ち上げるのが原則」といった話も出たし、「地区計画を想定した話だとしたら、分かる。5〜10年後に見直そうというのは、きっかけとしてよいのでは」といった支持もあった。


 栗山さんからは最後に「一番重要な合意形成に触れずに話をした。ゆるやかな合意、その合意を守り育てる組織の継承性について考えてみたかった」といったお話があった。
 また、栗山さんが強調されたのは、まちづくりは人だと言われるが、そこだけに問題をもっていくのではなく、やはり組織や仕組みのあり方を議論することに拘りたかったとのことだった。


 これは大事な視点だと思う。ただ、同時にコミュニティを代表する組織が、外形やシステムだけでうまく回るのかという問題もある。
 たとえばジェイコブスは『アメリカ大都市の死と生』の6章「都市近隣の使い道」で政治的な力を持てるだけの大きさがないと、近隣は無意味だと書いている。だから顔の見えるような関係に頼り切っていてはダメで、また公式な組織があれば良いわけでもなく、「街路の近隣や個別の組織団体を超えて地元の公共生活を拡大し、まったく違うルーツや出自に帰属する人びととも人間関係を気づける人びと、通常はそこの指導者たちなのですが、そうした人びと同士の実用的な人間関係がなのです」(訳書、p157)としている。
 自治や都市計画をめぐる対象範囲の議論とも重なるのではないだろうか。


 一方、建築協定や地区計画をどう持続的に発展させていくかという点については、有効な提案だと思う。会場から支持もあった。この点については『住民主体の都市計画』の1章の2節で室田昌子さんが書いている「住民が制定し運用するまちづくり協定・横浜市荏田北2丁目」も参考になるのではないか。
 ちなみに、季刊まちづくり26号の特集の筆者は『住民主体の都市計画』のグループとかなり重なっている。継続的な執筆活動で議論が深まっていくのが嬉しい。


 以上、曖昧なメモと独断によるまとめ。
 議論の時間も十分にあり、盛り上がるので次回以降、是非、参加ください。


○連続ワークショップご案内
http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1006meno/index.htm


○アマゾンリンク
・『季刊まちづくり 26

・住民主体のまちづくり研究ネットワーク編著『住民主体の都市計画―まちづくりへの役立て方

・ジェイン ジェイコブズ著、山形 浩生訳『アメリカ大都市の死と生