『観光のユニバーサルデザイン』

出したかった大きいテーマ

 数年間、ああでもない、こうでもないと相談を重ねてようやく出せた本だ。
 著者の1人、秋山哲男さんからお話を聞いたとき、観光とユニバーサルデザイン、ともに魅力的なテーマで社会的な意味も大きい。類書もない。是非、出したいと思った。


 難航したのは、草稿をいただいてからだった。あまりに話題が広すぎて、観光の現場で求められているバリアフリーの領域をどれだけカバーできているのか不安になる。そのうえ、バリアフリーツアーの現場では、ケースバイケースの対応におわれ、「ユニバーサルデザイン」といった理念的、根本的な話が何処まで通じるのか、不安もあった。
 何度も見直していただき、最後は著者の熱意に押され、またご無理をお願いして、ようやく出せることになった。

歩行者空間の充実

 本書は、大きく分けると3つのテーマを扱っている。
 一つは観光地の歩行者空間をいかに充実するか。
 これはバリアフリーというよりも、まず、車から解放されて安心して歩いて見て回れることが大事なのではないかという話だ。


 交通系の人にとっては耳にタコの感じもあるが、ヨーロッパの旧市街地の歩行者空間は、昔からあったわけではない。市民や市の決意と努力、そして発想の転換のたまものなのだ。日本各地の歩行者空間化への努力を観光関係者にも是非、後押しして欲しい。

自然遺産へのアクセス

 次は自然のなかのバリアフリー。これは森林や湿地など、自然遺産に車いす等でどこまで近づけるか、という話だ。もちろん、五体満足でも今時ズカズカと自然に入り込み、踏み荒らすことなど許される訳がない。まして、車いすがスイスイと入れる空間は限られる。
 しかし、木道など人工的な装置を作るなら、少しの工夫で車いすでも入れるようになるのに、そうはなっていない所も少なくない。それはおかしいじゃないかと力説されている。

文化遺産へのアクセス

 最後は文化遺産へのアクセス。これも難題だ。
 昔なら、山奥にあるお寺に来るまで乗り付けられるように道路を造ってしまうこともあった。階段がきついからとロープーウェイを付けてしまうこともあった。そして今、お堂に入るためにスロープを付けてしまう例もある。
 それが文化遺産の真実性を損なうことにならないのか。



 スロープ等を付けるとしても、もっとうまい方法があるのではないか。いや、昔からそういった工夫がされている例もあるし、現在でも優れた例がある。それでも出来ないところは諦めてもらうか、人的介助に頼るのか。悩みは尽きないテーマだ。


 一方、今も信仰が生きている寺院などは、信者さんの足腰に合わせたバリアフリー化も必要だろう。これを「遺産だから改変はダメ」と簡単に言えるのか?宗教施設の真実性の継承は、建築の継承ではなく、は信仰の継承にこそあるのではないか。こちらは、むしろ『生きている文化遺産』で展開しているテーマだが、同様に難題だ。

常識の欠如

 ところで出版を記念して社の会議室を使って講演会を開いて欲しいと著者にお願いしたところ、心よく引き受けていただいた。
 ところがである。
 車いすの人が来ても大丈夫なんだろうね?と聞かれてしまって、はたと気づいた。
 95年にできた建物だし、それ以前から関連書も出していたのだが、考えてみるとそういった配慮が一切ない。エレベータに車いすは入らないし、トイレもない。こりゃ大変だと会場を変えることになった。
 一応建築家が設計した建物で、これである。建築家も常識がなく、我われも自覚がなかった。恥ずかしい。


○講演会のお知らせ
東京セミナー(2010.6.30)
http://www.gakugei-pub.jp/kanren/ibento/20100630kanko_ud.pdf
京都セミナー(2010.7.14)
http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1007aki/index.htm


○アマゾンリンク
秋山哲男、清水 政司、伊澤岬、江守央、松原悟朗『観光のユニバーサルデザイン―歴史都市と世界遺産のバリアフリー
藤木庸介編著、神吉紀世子ほか著『生きている文化遺産と観光―住民によるリビングヘリテージの継承