蓑原敬さんのセミナーのまとめがやっとできた(2)

地区まちづくりの主体は、広域計画の主体は

 次は深川光曜さん(京都市)と瀬田史彦さん(大阪市立大学)、酒本恭聖さん(川西市)の質問にうつった。
 それぞれ話題は違うが、結局の所、地域主権の都市計画なんて本当にできるのか。地区の住民や、自治体、広域協議会が、責任を引き受け、意志決定を出来るのかという問いだった。


 蓑原さんや宗田さんから、意志決定の単位は課題ごと、地域の事情、時代の事情ごとに様々な形があって良いが、ようは本気で責任を果たす気があるのかどうかが問題だと再々強調された。


 酒本さんから自治体の人材不足が、平田富士男さん(兵庫県立大学)からは議会への不信と、都市計画審議会の役割が問題提起されたが、これらも結局同じ事だ。


 いままで自治体は遠いところにいるお上に頼り、お上が決めたことだからと説明責任から逃げていた。これを改める覚悟がないかぎり、物事は前進しない。宗田さんはそれが出来なかったら、成熟社会なんて愚かな年寄りの集まりになってしまうと喝破された。

新しいお上はどこから生まれるのか

 前の質問に対して蓑原さんは、お上の権威は天皇制によって支えられていたので、今や成り立たなくなっているとも指摘されたうえで、パブリックはみんなで分け持っているという意識が根底にあるアメリカ型に近い社会をつくろうと言われた。


 それに対して宗田さんは、今、フランス革命のフラテルニテ(自由・平等・博愛の「博愛」の原語)の本来の意味、コレクティブに依拠したお上を再構築するべきだと言い換えられた。


 関連して田路貴浩さん(京都大学)が「地域環境に対する権利と義務を根底から考え直すべきでは」と提起されていたが、そういう理念を理念法に書き込んでも実効性はない。具体的に地区レベルで、どうするんだということを自分も一緒にやってみて、自分もコレクティブの一員であったし、自己主張もしなければいけないけれども、隣の人のこと、もっと広い立場も考えなければいけないということをホントに体得していくことが必要だとされた。

都市の「かたち」は誰が考えるのか

 田路さんからはさらに、都市のかたちは誰が構想するのかという質問だがあった。
 これにたいして蓑原さんは、先ほどと同様に、今は試行錯誤のなかで再構築していくしかない、「誰がつくるかではなく、その場、その場で考えていくしかない」とされた。

意志決定構造が液状化している今がチャンス

 以上、駆け足で議論をおってみたが、詳しい内容はいずれ校正を経て完成する記録をお読み頂きたい。
 参加者は、わざわざ京都に来てくださった方ばかりだから、改革への意欲のある人ばかりだろうと思うが、それでも現場の責任の重さ、困難さにたじろいでいる感じがした。
 だが、それだけ率直な、リアルな意見交換ができるところまで、ようやく来たのだとも言えると思う。

 僕は民主党の政策INDEX 2009には大いに期待したのだが、政権についてからの民主党地域主権への決意すら揺らいでいるように見える。それは残念だが、権力の意志決定の構造が液状化しているとの蓑原さんの指摘が正しいなら、今はやはりチャンスなのだ。


 地方から変革の波を起こそうではないか。
 先日紹介した関満博さんは、中山間地域から価値観の転換が始まっているという。次は僕たちの番だ。

(おわり)