稲葉佳子「多様性を体現するまち・新宿大久保」(2)
昨日は大久保の多様性を語ったが、今日は日本の街の衰退と多様性の喪失を絡めて考えてみよう。
都合のよい多様性だけを考えるのは間違い
稲葉さんは、都市論でも多様性が注目されているが、それは理想的な多様性(というか、都合の良い多様性)に過ぎないのではないかと指摘する。大久保を通して見えるのは本気で多様性を求めようとするなら、それなりの覚悟が必要だということだ。面倒なやっかい事も引き受けなければならない。
だが、それなくして都市の力は生まれない。
藻谷浩介さんは、26日の講演会で街には「雑」が必要だと強調された。
大久保にはまさにそれがある。「雑踏」があり「雑居」を生む「器」の力がある。大久保には雑居を受け入れられる様々なタイプの建物があったし、またそれを外国人に貸す人びとがいた。
また藻谷さんは「街というのは、個人がファイトバックする場所」だともされた。
世界企業に乗っ取られた生活を奪い返すための拠点。それが街だとするなら、外国人が一からビジネスに取り組み、なかには年商何十億を実現した人も出てきている大久保こそ、「まちなかドリーム」の典型例だと思う。
11月26日には、稲葉さんを迎えてセミナーを開く。
我が町は外国人なんて関係がないというところも多いだろうが、考えて欲しいのは「都市の力とは何か」ということだ。
多くの中心市街地が寂れているのは、藻谷さんが強調するように成長時代の土地神話ボケが治らないからだろう。それゆえ新参者を受け入れる度量を失い、多様性と向き合う勇気も持てないからではないか。
だが、一歩踏み出してみれば、さきほどの大家さんのように10年もすればすっかり変われる。それこそがファイトバックできる街の始まりであり、大家さん、地権者のファイトバックの始まりだと思う。
○稲葉さん講演会
・学芸セミナー「オオクボ 多文化と多様性のまち」/11月26日、京都
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稲葉佳子『オオクボ都市の力―多文化空間のダイナミズム
』(2008)