稲葉佳子「多様性を体現するまち・新宿大久保」(1)

多様性を包容する街オオクボ

 これは『オオクボ 都市の力』を書かれた稲葉佳子さんが多様性を特集した『世界思想』(2010年春号、世界思想社)に寄せられた論文だ。


 まず大久保は一丁目の町会長が「国勢調査で回った印象では6割は外国人」と言うように、多文化共生なのか多文化強制なのか悩ましいほどに国際化が進んだ町だという。


 中高年の男性なら90年前後の「外国人の売春地帯」という印象をまだ持っているかもしれないし、韓流の町だと思っている人も多いだろう。
 だが、今はもっと輻輳した活気ある街になっている。


 そもそも大久保は昔から新参者の町だった。
 江戸時代には新宿の外側で江戸の外れであり、江戸を守るために呼び寄せられた「鉄砲百人組」や「鉄砲玉薬同心」が住んでいた。明治になるとラフカディオ・ハーン戸川秋骨幸徳秋水内村鑑三孫文など、文士、学者、社会主義者、革命家が、近くの陸軍施設の軍人らとともに住んでいたという。


 さらに戦後は、留学生やホステスさんが多く住み、80年代以降は現在に繋がるニューカマー、韓国からの新たな移民の流入が始まった。


 そして今、「不動産店を営む中国人の友人を訪ねると「最近は、中国人だけじゃなくて、ネパール、アメリカ、バングラデシュベトナム……いろいろな国のお客さんが来るのよ」というので、「ところで何語で話しているの?」と聞けば「もちろん日本語でしょ」」という状況になっているのだと稲葉さんはいう。


 もちろん、このような雑居状態は様々な軋轢を生む。10年前には外国人に貸すと「ゴミの分別はメチャクチャ」「夜遅くまで話し声が大きい」「勝手に友人と同居する」などトラブルが絶えなかったという。


 しかし10年を経て同じ大家さんを訪問すると、「そりゃトラブルはなくならないけど、きちんと注意すれば相手も分かるのだから、外国人か日本人かなんて関係ないでしょ」と、平然として言われたという。


 はっきりと物をいうのが苦手とされる日本人も、必要に迫られればきちんと言えるようになるということだ。国際化とは、日本人自身が変わっていくことでもある。

続く


 追:

・90年代、急激にニューカマーが増えた頃の大久保については稲葉さんたちまち居住研究会による『外国人居住と変貌する街』に詳しい。今は品切れで、アマゾンではちょっと高いが、綿密な調査が感動ものだ。
 まち居住研究会『外国人居住と変貌する街―まちづくりの新たな課題』(1994)

 
○稲葉さん講演会
学芸セミナー「オオクボ 多文化と多様性のまち」/11月26日、京都


○アマゾンリンク
・稲葉佳子『オオクボ都市の力―多文化空間のダイナミズム
』(2008)