高島市新旭町針江まち歩き(3)
湖畔
有機栽培の取り組み
再び公民館に集合し、車に分乗して湖畔に向かう。
今度のガイドさんは女性の前田さんだ。
車窓から見える田んぼを指さして、あれは無農薬、こちらは農薬半減と説明してくださった。
生き物の「ゆりかご水田」といって、今年はにごろフナの稚魚を40万匹びわ湖に返そうと取り組んだところ100万匹を返すことができたという。
たとえば冬の間に田んぼに水を張ると、無農薬なら、虫たちが戻ってくる。そうすると鳥たちも戻ってくる。そして鳥たちのフンが田んぼに栄養を与えてくれるという。
写真はミズスマシを呼び戻そうというプロジェクト。
また竹が繁茂しすぎて景観や環境に悪い影響を与えているので、針江生水の郷委員会も竹の伐採に協力しているという。
番傘をさして歩けるぐらいの竹林が理想だという。
右の写真は伐採した竹をりようしたコップ。見学者はこのコップで生水を飲ませていただく。
葭(ヨシ)の群落
湖畔につくと、そこは葭の群落だった。
びわ湖でも三大群生地に数えられるという。
葭は葦とちがって中が空なので、水を浄化する。また外敵から身を守りやすい群落のなかで鳥が産卵し、湖岸ではお魚が産卵していた。
湖岸道路ができるまでは、ずっと奥までこういう群落が続いていたという。だから鳥もお魚も、ずっと奥まで入ってきていた。
だがかさ上げされ堤防を兼ねた道路ができて、洪水の脅威は減ったが生き物の生息環境は随分減ってしまった。
だから魚道をつくったり、様々な工夫をしているという。
葭刈りも必要で、地元団体で取り組んでいるほか、今年はコクヨも参加したという。刈った葭の一部はコクヨが葭紙にした。
ガイドの前田さんによると、このあたりは昔は湿地帯か田んぼだったので、集落は湖岸からずっと離れたところにある。地元の人はこのあたりに住もうという発想がないという。
だが、針江に憧れる都会モンを狙って別荘が開発され、なかには住んでいる人もいるという。
ちなみに右の写真は大石さんのお家。京都から針江に移り住んでこられた。
田中さんの船着き場
ツアーのトリはさきほどの田中三五郎さんの船着き場だ。5年前まで乗っておられたたんぼ船が見える。
対岸には美しい藻が浮いている。ただし、こいつは生えすぎると悪影響があるので、みんなで取っているという。
田中さんが現役のころは、そういうこともちゃんとしながら、もどり漁をされていた。まさに環境を管理されていたのだ。
鳥に田中さんがお魚を分けてあげていた箱が船の向こうにおいてある。鳥たちも分かっているのか、田中さんがくると集まってきたという。
観光と環境保全の正の循環
なんでもNHKの放映のあと、観光客が激増し、家のなかに入り込んで写真をとったり、果ては西瓜を冷やしたりする人までも現れたという。ちょうどその頃、子供の連れ去り事件などが大きな話題となっていたこともあり、不安を感じた地元の人びとが、針江生水の郷委員会を発足し、ガイドツアーという形で外部の人々を受け入れることにしたという。
なおウィッキペディアによれば放映当時「殆どの家が「川端」を使わずに水道水を使っており、地区内の水路にもゴミが散乱しているような状況であった。しかし外部から観光客が訪問するようになったことで、逆に川端や湧き水の貴重さが見直され、多くの家が川端を復活させた。また水路にゴミが捨てられるということも無くなった」という。
放映がもたらした観光は地区に危機をもたらしたが、同時に地区のお宝の価値を再認識させ、自らガイドをするほどに誇りを取り戻させたと言える。
またガイドさんは、今月は異常なほどに来訪者が多くて大変と言われていたが、放映直後の一時的な人気にとどまらず、ますます人気上昇中という感じだ。
その要因の一つには、ガイドツアーの収益を環境保全に再投資したり、さらに有機栽培による生き物が生きられる環境の再生、重要文化的景観の指定など、持続的な取り組みがあるのだろう。
真板さんの『宝探しから持続可能な地域づくりへ〜日本型エコツーリズムとはなにか』の出版記念セミナーには、旭町がある高島町の方も来てくださるという。
お話が聞けるのが楽しみだ。
最後はツアー終了後の川新でのお食事風景。そして新旭駅前の特産品センターの様子。
有機栽培で古代米を作っていると聞いたので、売っていないかと期待したのだが、食べ物はあまり置いていなかった。残念。
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