特別企画・分かち合いの都市計画(3)


 『季刊まちづくり28号』で五十嵐さんたちが展開している総有論が、放棄地だらけになったような衰退地区では助け船にならないとしたら、どうすれば良いのだろうか。

山崎義人さんと嘉名光市さんによるアメリカの事例の紹介

 季刊まちづくり26号の読書会では、山崎義人さんと嘉名光市さんが報告され、アメリカの例が紹介された。

 一つは、クリーブランドのランドバンク。不良債権化した空地や建物を債権者である銀行から低価格で取得し、不動産市場に戻していこうという試みだ。市もアフォーダブル住宅への利用などに、様々な支援メニューを用意しているという。



 だが、もともと不良債権化した土地・建物だ。買い手、借り手は少なく、緑のネットワークとして位置づけ、市民が都市農地として利用するといった方法が検討されているという。


 対象地区の土地利用の現況図を見せてもらったが、三分の二ぐらいが空き地で、とんでもない広さだった。


 もう一つ、読書会では言及はなかったが、26号で紹介されているのがミネソタ州のホームステディング。こちらは衰退地区で住宅を購入して住もうという人に、取得・改修のための交付金を州が提供しているというものだ(注)。


 低所得者だけど、住宅を維持できる程度の収入があり、かつ住宅に困窮している人。また地域にとって望ましい居住者として貢献することが求められるという。「自らの手で自らの住居を築くライフスタイルを楽しみながら、地域の荒廃を防いでいくような居住のあり方」が目ざされているという。


 嘉名さんたちも、地域による管理を口にする。「こうした空間をマネジメントする主体をもち、暫定的であっても土地利用を進めることで、都市の質的環境を維持または向上させ、あわせて斡旋や支援プログラムを付随させることにより地域の活力を維持する仕組みを整えていくことが今後のわが国都市計画に必要ではないか」(季刊まち26、p43)という。


 しかしランドバンクやホームステディングでは、地域の主体は自立しているだろうか。
 ランドバンクの資金源は触れられていないが、いくら安くかった土地でも、売れない土地を膨大に抱えるのだから、今のところ、ビジネスとして成り立っているとは思えない。やはり行政にせよ、民間の寄付にせよ、地域外の力が不可欠ではないか。

大方潤一郎さんの提案

 大方潤一郎さんは「まちづくり条例で国際標準の計画制度を組む(仮題)」(蓑原敬編『新しい都市計画の挑戦』所載、2010年末発行予定)で、都市圏のなかで集約される市街地、すなわち日常生活圏には位置づけられないが、すでにある程度市街化が進んでいる地域や、空洞化が予想される郊外住宅地などは、むしろ本当に緑豊かな環境を望み、かつ経済的にも能力的にも限られた層の居住地、別荘地として転換していくべきとされている。

 アメリカの郊外住宅地の標準的な最低敷地規模は910平米ほどであり、日本の郊外住宅地の8割が空き地になっても、たかだかアメリカの標準的な郊外住宅地と同等の密度に過ぎない。
 これから25年をかけて、住み替え支援を充実し、住宅数を減らしながら敷地を拡大していく。その間は、小さな敷地は自治体が借り上げ、更地にして、地域の共同菜園や公共空地する、といった提案をしている。


 この提案が、他の提案と決定的に違うのは、お金持ちに期待している点。そして一時的とは言え、行政が相応の負担をすべきとしている点だ。


 いずれの事例や提案も、住宅需要がないことにはうまく行きそうにない。
 嘉名さんたちはグリーンネットワークとして公的に担保することを想定しているし、大方さんは高所得者に期待し、それまでは公的に担保するとしている。
 やっぱり、それしかないのだろうか。
 この話題は一応ここで終わって、次回は平山洋介さんの本からニューヨークの放棄住宅の歴史を見てみよう。


続く

注:なお、ホームステディングとは空き家、空き地、捨てられた住宅・土地に入り込み、セルフ・ヘルプの労働によって住む場所をつくり出す行為を言う(平山洋介、『不完全都市〜神戸・ニューヨーク・ベルリン』p154。



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・『季刊まちづくり28号

五十嵐敬喜著『美しい都市と祈り』(2006、学芸出版社