平山洋介『不完全都市〜神戸・ニューヨーク・ベルリン』


 山崎義人さんと嘉名光市さんが
季刊まちづくり26号の読書会で報告されている都市の放棄地については、平山洋介さんが『不完全都市―神戸・ニューヨーク・ベルリン学芸出版社、2003)』で詳しく論じている。

ニューヨークの放棄住宅

 この本によると、ニューヨークでは放棄され、不動産税を滞納したため没収した住宅が、1979年には10万戸に達したという。そのため、市と市のHPD(Department of Housing Preservation and DEvelopment)は、三つの施策(オールタナティブ・マネージメント事業)を用意したという。

1)暫定賃借事業

 放棄住宅をコープ住宅に転換するため11ヶ月の暫定賃借期間を設定し、その間に自主管理の訓練を受け、公的補助とセルフヘルプの労働によって集合住宅の修復に取り組み、その訓練・修復の成果がHPDに評価されると、借家人は住宅組合を結成して、放棄住宅をタダ同然で譲り受ける(1996年までに1万3500戸を転換)。


 なおこの政策の起源は、ホームステディングという運動にある。
 これは空き家、空き地、捨てられた住宅・土地に入り込み、セルフ・ヘルプの労働によって住む場所をつくり出す行為をさし、放棄住宅の一部では借家人がセルフヘルプの自主管理・修復に挑戦し成果を納めていた。いってみればそれを合法化したというわけだ(平山、p154〜155)。


 たしか、70年前後にはイタリアの不法占拠運動が有名だったように思う。
 片や不動産事業としてはうまみがなくなり放棄された住宅、片や住宅に困窮し、しかし自立を求めた住民がぶつかっていた。そんな時代だったと思う。

2)地域管理事業

 放棄住宅のコープ住宅への転換は入居率が高く、物的状態も相対的には良好な地区で試みられた。より劣化が進んだ地区ではコミュニティ・ベースドの非営利組織がHPDと契約し、2、3年をかけて管理・修復と入居者募集を行う。最終的にタダ同然で非営利組織に譲渡され、非営利組織はこれを賃貸住宅として運営するか、コープ住宅に転換するというプログラムだ。
 1995年までに非営利組織に渡った住宅は5700戸だった(平山、p156)。

3)私的所有管理事業

 投資を惹きつける可能性がある放棄住宅については、デベロッパーがHPDとの1年間の契約により管理・修復に携わり、その後に所有権を安く取得した。
 この方法はHPDが好み、コミュニティ・グループには批判されたという。
 1995年までに1万2300戸が売却された(平山、p156)。


 借家人からすれば、放棄住宅をアフォーダブル住宅に再生することが対策だった。しかしコッチ市長にとっては、放棄住宅は課税対象が減り管理負担が増えるという問題であり、市場住宅としての再生こそが対策だった。


 だから1980年代になって、ニューヨークが世界都市として蘇ったとき、ホームステディングへの寛容は消え去り、ジェントリフィケーションが毎年2万5000人から10万人もの人びとを立ち退かせていたという(p156〜157)。


 ディンキンズ市長の時代にはコミュニティ・ベースドの住宅供給が支持されたが、ジュリアーニ市長は市の関与自体をなくしていく。放棄住宅を市が接収するのではなく、滞納税の先取得権を投資家に売却したり、直接、新しい所有者に売却した。抱えていた放棄住宅については、暫定賃借事業、地域管理事業の後継である近隣再開発事業に加え、ディケンズ市長により廃止されていた私的所有管理事業にかわる近隣起業家事業を推進し、市が所有する放棄住宅を2000年までに2万6190戸にまで減らしたという。
 こうして放棄住宅からアフォーダブル住宅を再生するコミュニティ・グループは、後退を強いられていった。


 空地化したサウス・ブロンクスの写真は凄い。
 まるで爆撃にあったかのような荒涼とした風景で、これがニューヨークかと驚く。
 だが、上記の経過を別の側面から見れば、それでもアフォーダブル住宅を欲する人はもちろん、より高級な住宅を求めるニーズもある地区だったことが、分かる。

 そういう圧力さえ存在しないところでは、どうすれば良いのだろうか。


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平山洋介著『不完全都市―神戸・ニューヨーク・ベルリン