脱成長と京都の水

東京は暑くて冷たかったかった

 昨日は朝から東京。
 文教大学(遠い!)、お茶の水で2件、代々木で打ち合わせ。
 そして最後は市ヶ谷で原科幸彦さんの環境アセスメントの講演を聞いてきた。

 暑いうえに、電車等のクーラーが冷たくて気持ちが悪い。
 帰りの新幹線ではさすがにぐったりだった。


 今日は近くのYWCAで世古一穂さんのコミュニティレストランの講演を聞いた。
 やはり暑いが、近いので助かる。
 興味深かったのは、フランスでもラトゥーシュという人が「脱成長」を言い出しているとのことだった。


 広井良典さんの『定常型社会』、時間泥棒を描いたエンデの『モモ』『エンデの遺言〜根源からお金を問うこと〜』にも通じそうな話だ。
 エンデは「重要なポイントはたとえばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と株式取引所で扱われる資本としてのお金は2つの全く異なった種類のお金であるという認識」だという(NHKの番組『エンデの遺言http://www3.plala.or.jp/mig/will-jp.htmlより)。
 前者は成長の有無に拘わらず成り立つし、必要だが、後者は成長なくしては破綻あるのみ。番組のほうでは、マルグリット・ケネディが、これはどう計算してもあと2世代しか続かない。行き着く先は経済の破滅か地球環境の崩壊だと言っている。


 ちなみにエンデは、本国ドイツについで、日本で人気があるそうだ。

醍醐水


 ところで、暑いので水の話。
 6月22日に紹介した「ほんまや」や「東京水」と違って、こちらは「開山の理源大師が山中のわき水を飲み、「醍醐味なるかな」と感動し、仏法を広める決意をしたと伝わる」本物の名水だ。
 その名水を井戸からくみ上げ、ペットボトルに入れ、「醍醐水と名付けて販売を始めた」そうだ。
 これがなんと200円。それも300ミリリットルだというから驚く。
 醍醐水は市の水質検査をクリアした軟水で、お茶やコーヒーに最適。取水は月に5千〜1万本分に限定するという。

(写真は京都新聞HPより)

近所の井戸


 近所の梨の木神社に井戸があって、毎週、汲みに行っている。井戸から水道で汲み上げていて自由にもらい水が出来る。僕は10リットルぐらい持ち帰る。一応、少額の寄付をするのが礼儀のようだが、しない人も少なくない。
 こちらも軟水。それも相当の軟水で、ティーなど以前は砂糖を入れないと飲めなかったが、この水に変えてから何も入れないでも甘くなった。


 井戸には5リットル汲んだら、列に並び直せと書いてあるが、滅多に守っている人はいない。だいたい20リットルぐらいまでは許容範囲と思われている。
 また、井戸の上にペットボトルの蓋を置くのは許されるが、他のものを置くと怒られる。
 僕もワイフも、それぞれ横着をして、こっぴどく怒られたことがある。


 なおこの井戸は少し有名で、京料理には最適と言う人もいて、「梨の木神社の水を使っています」と張り紙をしていたお店もあったそうだ。ところが、これがウソだとばれたことがある。最初は真面目に汲みに行っていたが、忙しくなって行けなくなったとき、誰も気づかなかったので、横着を決め込んで半年か1年してからばれたそうだ。


 美味しいだの甘いだのと言っても、分かる人はまずいないということなのかもしれない。


 ちなみに今日の世古さんの話では、イタリアから同志社にきていたスローフードの学校の学生30人に、スーパーの普通の野菜、高級スーパーの野菜、そして最高の京野菜をそれぞれ5種類食べてもらい、味をきいたところ、みんな最高の京野菜が美味しいと言ったそうだ。だが、日本人の学生におなじことをすると、みんな普通の野菜が美味しいと言うそうだ。
 食べ慣れてくると味がわかるようになるそうだが、本当は小さい頃の食育、舌の鍛錬、食のリテラシーが大事だとのことだった。

 水もおなじ事だという。


 世古さんが生まれ育った京都のお家には、お茶のための深い井戸、料理用の井戸、庭の水撒き用の井戸があったという。それだけに東京に移り、多摩川を見て、人が排水した川の下流で取水して浄化しているシステムを見て、これはダメだと思ったそうだ。そして小金井のあるエリアで、国分寺崖線わき水からとった水を給水していることを知り、そこに移ったという。次のところも、その給水エリアに限定して探したという。

 
 また世古さんは京野菜の種を扱っているお家の生まれなので、農家から余り物の、旬の野菜をいっぱい貰って食べていたそうだ。だから美味しい物を食べたい。有機が高いなら、自分で作ってしまえと、ベランダのプランターや一坪の菜園で自給率70%とのこと。
 実践してしまうのは、やっぱり凄い。