久繁哲之介『地域再生の罠』に反論する(4)街なかの農産物加工品直売所

2つの提案について

 そのほかにも、いろいろ問題点の多い本だが、文句をいうことはこのぐらいにして、久繁さんの提案を前向きに考えてみよう。


 一つは、農産物「加工品」直売所を「憩いの場」にするというもの。
 二つ目は、町なかの空き地、空き施設をつかって交流型のスポーツ施設をつくる。
 そして、それらを含め、公的支援は交流を促す公的空間に集中する。

 いずれも結構だと思う。ただ、「加工品」直売所やスポーツ施設は唯一の解でもないだろう。


 スポーツ施設は良く知らないので、加工品直売所を考えてみよう。
 おかきなどの加工品だけに絞るのもどうかと思うし、直売所のビジネスモデル全体を、そのようなものに変更できるとも思えない。
 確かに車で直売所を梯子するなど、CO2の面からは良いことだとは思わないが、1万5000とも言われる直売所ができ、そこで100万人を超える人が小金を稼いで希望を見いだしているという。その規模は1兆円とも言われ、それらは農産物加工所、農村レストランへと発展途上である。
 その一部なりとも都市内に来てもらうためには、農家の人たちの信頼を勝ち得なければならないだろう。とりわけ出荷の負担をどう分かち合うかが重要だと思う。
 まずは周辺農家をどう支えるか、から発想すべきではないか。


 アメリカのファーマーズ・マーケットは、元々は周辺農家の支援を掲げて始まったが、回りにマーケットの商品を活かしたレストランを惹きつけ、地域に賑わいをもたらしている例もあるという(たとえば鳴海邦碩他著『都市の魅力アップ』(学芸出版社、2008)、佐藤亮子著『地域の味がまちをつくる―米国ファーマーズマーケットの挑戦』(岩波書店、2006)参照)。


 また飲食店が大切だという考えは、宗田好史氏が常々強調している。宗田さんの場合は、女性の嗜好にあわせてちょっと小洒落たお店で、若いシェフ等が素敵な料理をつくる。そこで会話を楽しむという路線だ。それを詳細な調査で実証している(宗田好史『中心市街地の創造力』(学芸出版社、2007)『創造都市のための観光振興』(学芸出版社、2009))。


 地方都市のなかで、おかき等をつくるのは良いが、もっと色々な可能性も考えるべきだと思う。またコミュニティレストランやコミュニティカフェなど、すでに広まっている取り組みとの連携も考えるべきだろう(世古一穂『コミュニティ・レストラン』(日本評論社、2007)。


 いずれにしても人びとが求める物を謙虚に探っていくしかない。
 そのためには、久繁さん自身が指摘しているように、アンケートや他都市(や業界)の成功事例、そして思いつきだけに頼っていてはダメだ。


 そして、残っている資産を掘り起こし、再利用して、なるべく安く、フレキシブルに交流空間を生み出していく。
 また、赤字は少々覚悟の公的な空間だけではなく、むしろ安い賃料、少ない初期投資で挑戦できるように空き店舗が賃貸市場に出回るようにするべきだ。
 そういうことに専門家の知恵がほしい。

商店街における所有と経営の分離

 なお商店街の再生の手法として注目を集めている「所有と経営の分離」は、その失敗例としてあげられている話とは無関係だ
 太田市南口商店街は、むしろ所有と(不動産)経営が一体化し、私益に走った例である。
 高松等の事例で言われているのは、これを分離し、不動産経営は街全体の視点から行おうというものだ。
 こういういい加減さは止めた方が良い。


 また「風俗に貸すななどと高い目線からものを言う」と批判されているが、これはおかしい。
 太田市南口商店街の事情が紹介されている市長の言葉どおりなら、開発利益が乱用されないように、予め規制をかけておかなかった行政の怠慢だろう。あるいは、それがしがたい法制度の瑕疵だ。


 あるいは久繁さんが提言しているように、市民が望まない、公益に反するものには高率の課税をする経済的な誘導でもよい。
 なんらかの対策を打たなければ、いくら愛着を持たれた空間でも、もっとも高い買値、もっとも高い賃料には勝てないこともある。


 それは「高い目線からものを言う」といったレベルの話ではない。
 市民合意を背景に、時にはリードしつつ、公共空間の環境を守る自治体都市計画の役割があるはずだ。


 ただ、誤解のないように言っておきたいが、これはどの街も風俗に貸すな、という趣旨ではない。それは地元や市民が選択すべきことだと思う。

最後に

 宇都宮のギョウザ、カクテル、ジャズに東京とは異なる個性的な魅力(p41)があり、また島根のカフェなど、消費者としてカフェ文化を楽しむライフスタイルと心があれば「気がつく」(p78)という久繁さんの視点から、もっと積極的な論を展開してほしかった。


 それにしても「何をするにも便利な郊外(p170)」とし、若者は広くて自然豊かな郊外に住宅を求め、高齢者もおなじような傾向で、そこには損得勘定で計り知れない心の温もりがあり、「郊外生活に慣れ親しんだ高齢者が街中へ移住したとたん、彼らが元気を喪失する」(p152、p153)とまで言う久繁さんが、なんでまた、街中再生のために提案したり、相談にのったりしているのだろう。


 コンパクトシティ政策の有無に拘わらず、郊外も問題山積みだ。
 高齢化で車に乗れない人が増えるのも確実だし、ガソリンが高騰するだけでも、郊外は大変なことになる。
 次は郊外の暮らしをどう守り、持続させるか、建設的な議論を書いて頂きたい。


 長い反論につきあってくださった方、有り難うございました。

(終わり)