森巣博『日本を滅ぼす〈世間の良識〉』

 日本の現状を糞味噌にけなした本。
 とりわけ大手マスコミの堕落にたいして厳しい。

 「利潤の私益化、費用の社会化」が新自由主義思想のキモという断定は、スッキリしていて気持ちが良い。だが、読んでいて明るい気分にはなれない。もう、ほとんど絶望という気分になってしまう。

 特に印象深いのは、東電が水素爆発の予兆をつかんでいながら、黙りを決め込んでいたという話。<
 「東京電力福島第一原子力発電所3号機の放射能漏れや水素爆発の予兆となるデータを 爆発の前日につかんでいながら、国に法令に基づく通報をしていなかった問題で、 東電は1号機についても水素爆発(3月12日午後3時36分)の前日に予兆を つかんでいたのに国に報告していなかった。・・・東電原子力・立地本部の松本純一本部長代理は「放射能漏れにつながる全データを通報しなければならないとは法令上定められていない」としている」。
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 新聞の片隅に小さく掲載されていた記事を読んで、著者は涙が止まらなかったという。
 僕もぞっとした。

 著者は(1)非常要員意外の東電職員を危険地帯から逃すために時間稼ぎをした。(2)そのために原発周辺の住民が(死なない方が好都合だが)死んでも仕方がないと考えていた、としている。

 なるほど映画では、冷酷非情な某軍の幹部が、大局的判断やマニュアルに沿って住民を見捨てるという話が良くあるけど、そこまで身勝手な判断を東電はしたのだろうか。

 原発を新設するには、少しでも危ない、最悪の場合は大変なことになるなんて口が避けても言えない。そのため、最悪の場合を想定した事前対策をおおっぴらに策定することもできない。だからなんの事前準備もなく、大惨事に直面し、茫然自失し、ウロウロしていただけのようにも思える。

 今回の事故は、幸い、1000万人が避難しなければいけないというような事態にはならなかった。フクシマ50と言われる現場の人たちの頑張り、そして様々な偶然が日本を破滅から救ってくれた。
 だから、原発事故なんて反対派が言っていたほどひどいもんじゃない、まして低線量被爆なんて気にするほうがおかしい・・といった議論も出てきた。それでも「最悪の事態は絶対に起きない」と言わなければ再稼働もママならない。だからきっと、本当の準備なんかなされないまま、もう事故は起きないはず、起きないと信じようということになるんだろう。

 僕は一部の原発の再稼働も止むを得ないという気持ちはある。
 願わくば絶対安全なんてウソを言わずに、起こった時も最小限に留める努力をして欲しい。

(おわり)


○参考資料
「東電、爆発予兆示すデータ報告せず 福島第一3号機」
http://www.asahi.com/national/update/0625/TKY201106250190.html
「東電、1号機でも通報遅れ 水素爆発の前日に兆候つかむ」
http://www.asahi.com/national/update/0626/TKY201106250580.html

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日本を滅ぼす〈世間の良識〉 (講談社現代新書)