開沼博『フクシマ「論」』

 2011年1月14日に書き上げられ、2月に受理された修士論文に若干の手を加えて6月に出版された本だ。
 著者は東大で社会学を学び、吉見俊哉上野千鶴子に学んだという。
 帯には上野さんの「原発は戦後成長のアイコンだった。フクシマを生み出した欲望には、すべてのニッポンジンが共犯者として関わっている。それを痛切に思い知らせてくれる新進気鋭の社会学者登場!」という推薦文もついていた。


 修士論文に目をとめ、瞬時に世に送り出した青土社の編集者は偉いと思う。偶然もあったのかもしれないが、世の出版社が反原発有名人を追いかけている時に、修士とはいえ学術論文を400ページを超える大冊のまま世の中に送り出したのは凄い。


 帯には佐野眞一さんの「大文字で書かれたものばかりの「原発本」の中で、福島生まれの著者による本書は、郷土への愛という神が細部に宿っている」という推薦文も載っている。

 たとえば、反対運動をひっぱりながら、後に双葉町長になり原発を推進した岩本忠夫氏の変節は、郷土愛が貫き通されていたという。岩本を貫いたのは「そこに住む人間がこう生きたい思っていた生き方を、物や金といった物理的条件で貫けなくなることは許せない」という思いだ。だから「推進/反対」という表面ではなく、「愛郷/非愛郷」に目を向ければ、計画が現実化し、反対が果実を得られないことがはっきりしたとき、「愛郷」に立ち戻ることで「反対」を棄てたことは本人にとっては何の矛盾もない、ということになる。


 著者はダワーが「占領された敗者を一方的に受動的な存在ではなく、むしろ敗北を抱きしめていく、敗者の側の能動性に焦点をあてることによって新たな事実を掘り起こした」とし、原子力を受け入れた村(原子力ムラ)もまた原子力を抱擁していたのだ、としている。


 だから原子力ムラとして成立した原子力ムラにおいては、残る反対派は「変わり者」であって、警戒すべき相手ではない。むしろ「ぼくらが反対運動すればするほど国や電力会社は地元懐柔の必要性を強く感じてカネを落とすようになるから。原発で儲けようと思っている人がぼくらを応援している」という関係が生まれる。そこには反対派すら包摂してしまうムラの強靱さがある。

 しかも1995年以降、地方分権が徐々にではあるが現実化し、平行して新自由主義的な競争原理が導入されたあと、コロナイゼーションは自動化、自発化され、完成をみたという。


 まさに、姜尚中が帯で書いているように「戦後日本の成長神話と服従のメカニズム」が「原子力ムラという鏡に映し出さ」れている。


 ただ、そうは言っても、上野さんのように「すべてのニッポンジンが共犯者」と言ってしまって良いのだろうか。著者は財政官学の強固な原子力村に、反対派も包摂されていたとしている。上記のように、「原発あり」が前提のムラでは、結果的にそのようになってしまった例もあるのだろう。
 だけど、日本がかつて一億総懺悔とか言いながら、敗戦の責任を人任せにしてしまったように、今回もまた「責任者出てこい!」と言わなくて良いのだろうか。


 「すべてのニッポンジンが共犯者」ということは、圧倒的な善意をもって「一時の熱狂のなかで関心を向け、そしてごくわずかな時間でその関心は別なものにうつしていく」日本人の社会的な物事へのかかわり方への痛切な批判として読むべきだろう。


 著者が六ヶ所村で出会ったタクシーの運転手さんの言葉を最後に紹介している。
 「つぶれそうなタクシー会社が一つだけだったのが四つになってね。原燃さんが来てくれるまでは、一年の半分以上出稼ぎにでなければならなかった。危ないところでススだらけになりながら、家族と一緒に過ごせる日だけを楽しみにして汗水たらして働いて。今は一年中家族と一緒にいられる。子や孫が残って暮らせる。そういうもんですよ」。


 著者が言う圧倒的なリアリティ。
 それを突き崩すことはできるのだろうか。


(おわり)


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「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか