有川浩『阪急電車』と北村隆一『ポストモータリゼーション』

 『ポストモータリゼーション』という本を編集いただいた北村隆一先生は、自家用車の非公共性をいつも厳しく指弾されていた。


 普通、自動車の問題と言えば、二酸化炭素をまき散らしているとか、大気汚染、そして交通事故が津波よりも遥かに多くの人に死をもたらしているといったことが思いつく。加えて都市については、モータリゼーションと表裏一体の郊外化がもたらした中心市街地の衰退、だろうか。


 だが、北村先生が問題とされていたのは、もっと本質的に、自家用車が都市に住む人々から公共体験を奪ってしまっているという点だ。


 自家用車は家の延長のように閉ざされて、他者を拒む空間だ。ドアツードアで移動すると、知らない人たちと交わることもない。


 だから自家用車は反公共的な乗り物だ、と言われるわけだが、「それが快適だから良いんじゃないか、何でどこの誰とも分からない他人の隣に座らなきゃいけない!?」と言われてしまうだろう。


 「公共的な体験が人間には必要なんだ」と言っても、通じない人には全く通じないのだが、それがいったいどんなものかを感じさせてくれるのが有川浩の『阪急電車』だ。


 この小説は阪急今津線を舞台に、幾組かの恋人が出会い、分かれていく。そしてタダの赤の他人のかけた一言が、あるいは、単に聞こえてしまった会話が、人の人生を変えていく。


 心暖かくメルヘンチックだけれども、北村先生が言っていた公共交通機関の意味が、美しすぎるほど美しく浮かび上がる。まさに「電車が持つ、つながりの力を伝え」る小説だ。


(おわり)


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ポスト・モータリゼーション―21世紀の都市と交通戦略