西村佳哲『いま、地方で生きるということ』


 いま話題になっている、売れているとのスタッフの薦めで読んでみた。


 前半は今年5月、被災地をめぐって取ったボランティアの人たちや地元で頑張っている人たちへのへのインタビュー。そこで描かれた人たちは、生き生きとしている。実にしなやかで、強い。


 登米接骨院のかたわら、カフェを開いている柴田道文さんの「それぞれが「どこに行っても大丈夫」なぐらい自立していて、それで何か一緒にした時、本当に面白いことができるんじゃないか」という言葉が、その強さの真髄だと思う。


 本の後半では被災地を離れ、秋田や九州に「地方で生きる」人を訪ね歩いている。
 それぞれに輝いている人で、インタビューは面白い。


 ただ、なぜ著者と出版社が「いま、地方で生きるということ」に拘っているのかは、分からなかった。


 「まえがき」には本の執筆を依頼した出版社の人との会話が紹介されている。
 このテーマに拘ったのは、出版社の人だという。
 そのまえがきで、地方は「田舎ではない」と断っている。
 「東京のようで東京ではないような、周縁部の微妙な街も地方」だと言っているので、おそらく、日本の中枢、最先端にして、権力である「東京」に対して、そのた大勢を「地方」と言っているのだと思う。


 その東京に人材が引き寄せられという現実と、東京でしか自己実現できないみたいな仮定が前提としてあって、そこに逆らう人たちに光を当てようとしているのがこの本なんだろう。


 だからこの本が売れるということは、多くの読者が「最先端」「権力」「東京」と「自分」を同一視しているということだろうか?

 
 地方にずーといる僕にはちょっと分からないところがある。


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いま、地方で生きるということ