高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書)
著者は10年ほど前に亡くなられるまで反原発運動の中心にいた人。原子力資料情報室の設立にも参加されている。
その高木さんの絶筆となったこの本は、単に反原発というより、日本の技術、ひいては日本の社会の、「自己点検もなければ相互批判も乏しく」「議論なし、思想なし」というあり方を鋭くついている。
とくに、原子力技術はサイバー空間のなかでシミュレートされるものとなり、具体の物を扱わなくなる中で、確たる現実感を喪失していったのではないかという指摘は、姉歯事件にも共通することじゃないだろうか。
姉歯事件でも、特に悪質な例は、現場でちょっと物を分かった人がいれば、鉄筋の本数が少なすぎると気づいたはずだ。それがコンピュータの操作をインチキされただけで、容易に突破されてしまった。
同様に、ナトリウム漏れ事故を起こした「もんじゅ」でも、問題のさや管にRが取られていないことを、町工場の職工さんが「おかしいのでは?」と指摘したそうだ。
さや管にR?
僕には分からないが、現場の人には常識だという。
なのに、設計図を妄信していた発注者は「原子力は普通とは違うのだから、これでいいのだろう」ということで取り上げらなかったのだという。
事実は、単に設計者がマニュアルを読み間違えていただけ。
もの作りの現場から離れてしまったコンピュータだけでの世界は、細かい計算に間違いはなくても、桁が違っても見過ごしてしまう。
手計算やもの作りで鍛えられた人なら、数パーセントの計算間違いはしても、桁が違ったら気づく。その違いは大きい。
ところで、高木さんは、被害予想がきちんとされていないことを指弾されている。それは全くその通りなのだが、数少ない被害予想例として紹介されている科学技術庁の1960年の調査では、16万キロワットの小型原子炉の壊滅的な事故で「急性障害による死者が540名、被害者2900人、財産被害3兆7000億とされているそうであり、加えて遅れて発生するガンの死者数を加えると高木さんの予想では数万から数十万規模に相当すると書かれている。
僕は、どこで誰に聞いたのか、思い出せないが、原発が炉心溶融・炉心の底抜けといった大事故を起こしたら、数十万人が死ぬと思っていた。だから、どんなに確率が低くても許容できる被害ではないと思っていた。
だが、今回の場合、死者はゼロだし、重篤のかたは数名らしい。
数十年後の死者数ははっきりとはしないが、数十万人にはなりそうにない。
また財産被害額も60年当時の3兆7000億には当時のGNPの約1/4だが、今回はせいぜい2〜5%程度だろうと言われている。
これは僕が、勝手に今回よりはるかに深刻な事態を想像していたというだけなのだろうか。
あるいは、反原発派の誤った過大宣伝があったのか。
それとも、今回の事故が、炉心が溶融し、一部炉心に底抜けはあるものの、幸運にも破局には至っていないだけなのか。
どこかに資料はないだろうか?