香山リカ『〈不安な時代〉の精神病理』

 この本、帯には「私を、日本を諦めないために」とか「未曾有の出来事を乗り越えるためにできること」と書いてあるが、中身をみると、震災前にほぼ書き終えられていたもののようだ。

 ただし「まえがき」や「あとがき」などは震災後に書かれている。
 特に「あとがき」は「春分の日」と日付が入っていて、その頃の気分を表していて興味深い。


 本全体の趣旨は、日本はデフレ不況のなかで国家的鬱病にかかっているというものだ。
 だが、国家的鬱病に効く薬はないとと悲観的な見方をしていた香山さんは、震災とその後の日本の社会のあり方に大きな希望を見出す。


 「大震災の結果、これまで不透明だった日本の未来は、非常に分かりやすくなった。道は二つに一つ、すなわち解体や縮退がさらに加速度的に進むのか、それとも再生するのかである。私(香山)自身は、ここから日本は再生に向かうもの、と考えている」という。


 なぜか?


 「「何のために生きているのか分からない」という人にも、「生き残ったから生きているんだ」という明解な答が与えられた。誰もがさらに生き延びるために、何かをしなければならなくなった」。


 まるで敗戦後の日本みたいだが、それがエゴむき出しの生存競争に向かわないと香山さんは考えている。


 「私さえよければ」「もう何していいかも分からないから」と縮退しているのではない。「何が本当に大切なことなのか」を考え始め、そのために回りに心を開き、手を取り合って協力し合うこともいとわない、というよりそうするしかない、という「心境の変化」が、生じ始めている」。


 そして「突然、よみがえったこの「大きな物語」の中で、私たちは、日本経済は、再生するに違いない。とはいえ、その再生とは「前のように戻ること」でもなければ、「再び経済大国の座に返り咲く」ことでもない。「私たちは、「あるべき経済の姿」を見つけていくことができるのではないだろうか」と香山さんは言う。


 そううまく行くのだろうか、やっぱりエゴ丸出しの生存競争が強まる中で世界から孤立していくのではないかと心配だが、確かに、震災以前よりは「あるべき経済の姿」への模索が広がっているのかもしれない。


 たとえば社のI君が山崎亮さんと藻谷浩介さんに「経済成長が無ければ、僕たちは幸せになれないのか」という対談をお願いしたところ、300人の会場が老若男女であっという間に埋まってしまった。


 加えて、案内をした書店の人たちが、口を揃えて「分かりやすいテーマですね」と言ったそうだ。


 僕にはわかりやすいとも、そんなに簡単に答が出る話とも思えないが、それでも、成長を夢見て果敢なリーダーにすべてを託すよりはましだろう。


(おわり)