復興構想会議の提言」(4)


 最後に、提言の最後の「結び」を見てみよう。
 これがまた、何を言いたいのか分からない文章だ。


 たとえば「(フクシマの)地はまだ色も香もない恐怖の君臨に委ねられている。だから、静かな怒り以上のものにはなりえない」としているが、そうだろうか。
 なぜ、「熱い怒り」にならないのだろう。そうなってはいけないのだろうか。


 「地震津波は今後もおこりうるという前提の下、「減災」の考え方で進むことになる。では、原発事故については、果たしてどうなのか」とも言う。
 100%の安全はありえない以上、今後、どのように努力しても、原発事故が二度と起こらないとは言えない。その時、被害をなるべく少なくするのが減災の考え方だが、それでよいのかどうか、構想会議は答えを留保してしまっている。


 ここで原発事故は二度と繰り返さない、と書ければすっきりする。そのために○○をしようと呼びかければ構想会議が言う「まずはこれをせねば」という具体的目標を示すことになるのだが、それもしない。

 だから「フクシマの再生を世界の人々とともに祝(ことほ)ぐことのできる日が少しでも早く来たらんことを、望んでやまない」なんて、まるで他人事のように言うしかないのだろう。


 もちろん提言には「原発事故の原因究明とその影響の評価、事故対応の妥当性の検証を、国際的な信認を得られるよう行うことを徹底する。その上に、新たな安全基準を国が具体的に策定すべき」という指摘はある。


 だが問われていたのは、もっと根元的な問題ではなかったかと思う。


(おわり)