越澤明「震災二ヶ月後のいま、考えるべき事」(続き)

 このように納得できることが多い越澤さんの論文だが、「「復旧」とは被災前の姿に戻す現況復旧を指しており、今回の東日本大震災でいえば東北自動車道仙台空港東北新幹線の復旧工事がこれに相当する」とされ、続けて「「復興」とは新たな水準のインフラを加えること」とされ、「帝都復興事業でいえば新設された昭和通り行幸通り、清洲橋山下公園同潤会アパートなどがこれに相当する」とされているが、そこには生活インフラ、生業のインフラが抜けている。


 地域の生活交通のインフラ、たとえば三陸鉄道はどうだろう。たとえその持続可能性に黄信号が灯っていたとしても、この際、諦めろ!で良いのだろうか。


 小さな漁港は、将来、人口減少や、資本集約化・産業コングロマリット化のなかで、なくなってしまうのだとしても、とりあえずの生活の糧をうる方途として、簡易な形ででも復旧すべきだと思う。


 なぜこんなことに拘るかというと、復興を名目に漁港や集落を取捨選択して集約し、グローバルに闘える産業化を目指すといった再編の議論が依然、幅をきかせているからだ。再編するならば、復旧はムダになる、妨げになる。


 越澤さんは「東日本大震災では深刻な被災(マイナスの状態)から元の姿(プラスマイナスゼロの状態)に戻すことが復興なのである」と最後に書かれている。


 そうであれば、もう一歩踏み込んで復興のために復旧を遅らせるな、見捨てるなと言っても良いのではないか。
 今は次の時代が見えていた後藤新平の時代とは違うということだ。

○越澤論文のアドレス
http://blog.goo.ne.jp/cityplanning2005/e/65d1c8f55db09cead9460b870a617c3e