越澤明「震災二ヶ月後のいま、考えるべき事」

 『中央公論』2011年6月号(5月10日発売)に越澤さんが書かれた論文。ただしHPに全文載っていたのでタダで読んでしまった。


 基本的には共感できるところの多い論文だ。


 越澤さんはこの間、復旧が大事と言われ続けていた。
 ここでも、「復旧か復興かと言えば、まず復旧を優先すべきである」とされている。そして続けて「復興の中身も地元市町村でよく吟味したほうがよい。東北人の気質からも、世界のモデル、日本のモデルとなるような遠大で派手な復興の姿を地元が望んでいるとは考えにくい。むしろ必要最小限の設備が整った家に住み、地元の漁業・水産業と関連産業の仕事に一日でも早く復帰したい、このように願っている人が大半ではないか」とされているが、きっと、そうなんだろうなあという感じがする。


 ただここで復興の中身として「必要最小限の設備が整った家に住み、地元の漁業・水産業と関連産業の仕事に一日でも早く復帰」をあげておられるが、僕の感覚からすれば、これは復旧だと思う。


 たとえば火事で家が焼けてしまったとしよう。仕事場もなくなったとする。
 ガレキを撤去したから復旧は終わったと言われても困る。
 前ほど立派でなくても良いから寝る場所と仕事場を確保すること。これに僕にとっての復旧だ。
 だから越澤さんが上記で書かれていることは、復旧じゃないかと思う。


 逆に言えば、復旧のあと、世界モデルになるような飛躍をめざすかどうかは、被災地自身が決めるしかないと思う。
 応援する方だって、復旧のための税負担はしてもよいけど、そこから先の世界モデルは自分の甲斐性でやってほしい、と思わないだろうか。こちらも青息吐息なんだから、世界モデルへの挑戦を応援してくれるなら、こっちも頼む、って感じがする。


 ところで、どんな形で復旧を応援したら良いのだろうか。
 越澤さんは「国がなすべきことは、各地の復興の具体の絵姿やイメージを描いたり、誘導したり、それを地元に対して示したりすることではない。国の役割は法制度と財政面で復旧・復興を全面応援することである」という。
 そして「住宅の高台移転のように復興の具体的な絵姿に関心を持つこと」は国がやるべき事ではないとしてる。


 ようは、国の役割はどこまで応援するかをはっきりすること。将来をどうするかは被災地自身が決めていくしかないということだろう。
 

(続く)