谷中散策(1)

 今から思うとずっと前のように思えるが、2001年2月1日、たいとう歴史都市研究会の椎原晶子さんを市田邸に訪ねた。4月の佐々木一成さんの「地域ブランドと魅力あるまちづくり」のセミナー会場として使わせていただくご相談だ。


 市田邸はなかなか素敵な庭がある(下、左の写真)。セミナーに使わせていただく座敷は、自主保育のためにも使われていて、今はゴザが敷いてあった。


 市田邸の保存活動は、建物の保全活用を通してまちづくりにつなげる「たいとう歴史都市研究会」(前野まさる代表)を生むきっかけになった。調査に参加しこの家に魅せられた中村文美さんが、この家に住むことでこの家を残そうと考えたことから市田邸の住まいとしての管理活用の検討がはじまった。その熱意をうけて、話し合いが進むうちに市田氏の理解と協力も得られ、5年間の借用契約が交わされたという。契約はその後も更新され、今は国登録文化財になっている。

 今も2階には若い世代がシェアハウスとして住みながら維持管理をしているということだ。

 ちなみに市田邸は、上野駅から上野公園を越え、東京芸大美術学部音楽学部の間の道の突き当たりにある。隣には桜木会館で、上野駅から徒歩10分少々という立地だ。芸術の杜上野と暮らしの町、上野桜木、谷中をつなぐ要として、急いで保全活用にとりくんだという。



 


 打ち合わせ後、椎原さんが谷中を案内して下さった。

 まずは市田邸のそばにある群言堂。石見銀山に本拠をおく松場さんのお店だ。普通のビルの地階に入っている。なんでも家主さんが地域に貢献できるスペースを設けたいと作っていたスペースに入ったとのこと。


 上から見ると屋根が安っぽいが、これもデザインだろうか。
 そして裏手にある路地(下、右写真)。



 


 上の写真では閑静に見える路地だが、実は左の写真のように大きなマンションが迫っている。

 反対運動をしたそうだが、土地の仕入れ値が高く、デベロッパーの採算が厳しかったのか、たいした変更は勝ち取れなかったそうだ。
 かわりに、裏の路地では住民がアスファルトを一部土に戻して植栽帯としてマンションの公開緑地とつなぎ、フリーマーケットなどを行う新たなコミュニティスペースにしている。


 ところがこのマンション、周辺のあり方から突出している点はもちろんだが、趣味的にも、言問通り側から見ると、要塞というか、刑務所というか、どうも頂けない。それなりのデザイナーが入っているそうだが、懲りすぎなのか、重苦しい。

 まあ、それが良くて入っている人もいるのだから、デザインは人の好みは様ざまなのだろうか。



 


 次の写真は言問通りにある酒屋さん。二色のビールケースがきっちりと並べられ、ショーケースのなかにも、同じビールが整然と並べられている。

 右の写真は旧吉田屋酒店。これは昭和62年に区が移築保存して昔の風情を再現している。その頃台東区文化財の保存には理解があり、東京芸大の奏楽堂も普通なら明治村に行ってしまうところが、「台東区の宝は台東区の外には出さない」との区長の決断で、上野公園に残されている。

 奏楽堂は芸大のそばに残ったからこそ、月に十数回のコンサートが開かれるなど、生きた形で保存されているのだから、素晴らしい決断だと思う。



 


 次はちょっと奥まったところにある路地。

 ただし下の写真のように扉があって、きちんと閉じられている。昔は夏に住人がビールを気持ちよさそうに飲んでいたそうだ。

 住み手がいなくなって、壊される可能性もあるので、たいとう歴史都市研究会で保全活用にむけてご相談中とのことだが、まだ見通しははっきりしないらしい。

 右の写真は、ちょっと離れたところにある路地のなかの改装されたお家。こんな色ばっかりの路地になったら、ちょっと疑問だが、一軒だけなら悪くはない感じだった。



 


 次の左の写真は別のところにある路地奥のお家。

 以前売りに出た時、保全してくれる人を口コミで探し出して、買った方が綺麗に修復して住んでおられるとのことだ。付属している小さな洋館が素敵だ。


 右は間間間(さんけんま)。こちらは会が借りて、数名がシェアしながら、週末はカフェやワークショップの会場になっているという。



 


(続く)