文楽「曽根崎心中」、創作オペラ「双子の星」

 20日から連休だった。
 初日は会社に過去の震災関連書籍の整理に出ていった。
 ランチに出てみると、京都駅前の人出は結構多い。普段は閑散としてるヨドバシカメラの1階店舗にも少し人が入っているし、烏丸通りを歩く人も多い。


 どうも親鸞聖人の遠忌に来た人も多いようだ。
 諸行事は中止されたとはいえ、本来、祈ることに行事が関係しているわけもないし、予定をしていた人は急に日取りを変えられないのだろう。だいち被災者支援の集いがあるなら、そちらの方が霊験あらたかな感じもする。


 夕方は京都では珍しい文楽の公演に行った。こちらもほぼ満員。
 口上で被災者へのお見舞いを述べていたが、「心をこめて演じます」と結んでいた。どうも繋がらない感じもするが、そう言うしかないのだろう。


 演目は曾根崎心中(上演は後半のみ)。
 近松門左衛門の最初の世話物で、正真正銘の大ヒット作なのだが、1955年まで上演が絶えていたという。なんでも真似をする男女が後を絶たず、禁止されたとか。昔も今も変わらない。


 嬉しかったのは生玉社前の段では、みんな黒頭巾で顔を隠して演じていたこと。初心者向けのイベントしか行かないせいか、いつも3人の人形遣いのうち一人は顔を出して演じていて、気が散って仕方がない。
 実際、みんな黒頭巾のほうが良いじゃないか、なぜ、いつもこうしないのだろう。


 今回も、天満屋の段、天神森の段では、主役の徳兵衛を操る人が表情が豊かで、そちらに気をとられてしまった。Wikipediaでは「重要な場面では主遣いは顔をさらすこともあり「出遣い」と呼ばれる」とあるが、重要な場面こそ黒頭巾で演じて欲しいものだ。


 2日目はお家で原稿読み。なかなか集中できず、つい、原発情報を見てしまう。
 地震だって、余震があるから安心はできないが、それでも段々終息することは見えている。だが、原発事故の終息っていつだろう。


 午後には、前売り券を買っていたオペラ「双子の星」を見に行った。
 先週の創作舞踊と同じく、近くのホールの自主制作シリーズ。先週は何もしなかったが、今回は最初に黙祷を捧げた。普段のおざなりな黙祷と違って、厳粛な空気に包まれたような気がした。


 演目は宮沢賢治の原作、17名編成のオケと声楽家、俳優、狂言師による創作オペラ。世界初公開。おそらく最初で最後の上演だ。


 思うにオペラってのは声が大事だから、なかなか姿、形までピッタリというわけにはいかないという難しさがある。双子の星(チュンセ童子、ポウセ童子)役の方は、正直、可愛くなくて、どうも感情移入ができない。


 その点、俳優さん、狂言師さんは、ちゃんと役どころにはまっていた。


 そしてまた、日本をテーマにすると、何でこんなに眠い音楽になるのだろう。まっくらななかで単調な音を聞いていると、睡魔が襲ってくる。目を開けねば!と意志の力を振り絞っても瞼があまりに重たい。だいいち、目を開けると可愛い童子とは似ても似つかぬ舞台がある。ご免、開けてられない・・・・


 第二幕は、ほぼ見られたのだが、この双子は良い子ぶりっこしていて、なにかというと「王様がいつも見ておられる」だの「王様がお許しにならない」だのと繰り返す。ちょっとは主体性を持てよ!と言いたくなる。


 宮沢賢治は、読み方によっては素晴らしい夢幻の世界なのだが、入り込めないとオカルトチックに見えてしまう。
 ちょっとハズレ!って気もするが、主催事業に頑張っているホールに敬意を表して来年を期待しよう。


 なお、舞台の両脇にオケをわけ、左手に弦楽器、右手が管楽器だった。
 左手の前のほうに座ったので、音は当然われていたが、それはそれで面白い体験だった。


 バイオリンの黒川君や山本さん、チェロの雨田さん、ヴィオラの高村明代さんなど、オケにはソロを聴かしてもらった人も出ていた。
 石川真由子さんは、赤いめがねをしていた。


 今回の連休、特に前半は天気も良かったせいか、20日にワイフとランチに行こうと思ったら、普段よくいくところが2箇所予約で満杯だった。なんとか潜り込めたお店も、結構お客さんが多いという。


 自粛、自粛という人もいれば、こういう時こそ経済を回せという人もいるが、普通にしているしかないじゃないか。
 そうじゃないと、不安でたまらない。