漁村の復興(1)

 僕たちが持っている阪神淡路大震災からの復旧・復興関連書籍のPDF化が、ほぼ終わった。
http://www.gakugei-pub.jp/higasi/index.htm


 お役に立てると良いのだが、阪神淡路大震災は大都市・神戸が中心だったし、『提言! 仮設市街地』も主に東京を想定しているので、様相がかなり違う。


 阪神淡路大震災では、漁村が被災したのは淡路島だけだった。
 そこで、どんな復旧・復興が行われたか。触れている本は上記のアーカイブの中では2冊しかない。


 第一は、『震災復興が教えるまちづくりの将来』(1998.2)に寄稿された難波健さんの「震災復興密集住宅市街地整備促進事業の成果」(p66〜74)。
 これは区画整理が施行された富島地区をのぞく五つの集落での取り組みを報告している。


 難波さんは震災で見事にクリアランスされてしまった漁村を前に、それが前の姿で復旧されるのではなく、少しでも火災に対して安全な街になるように奮闘されたようだ。


 彼は都市計画のプロだし、阪神淡路大震災の時は地震後の火災の恐怖がクローズアップされていたので、「復旧予算は認めるが復興は認めないという議論」もあったが、「住環境が悪かったところがせっかくクリアランスされたのだから、この際、禍根を残さないように精一杯の工夫を加えて思い切り頑張っていいまちづくりをしようではないか」という気持ちで当たられた。


 だが、難波さんにしても「何がいいまちなのかについて、そう簡単に答が出せるものではない」という。


 結果、地区によって、2m程度の道路拡幅やコミュニティ住宅が建設された。
 難波さんは、成功の要因として、「そもそも密集事業を田舎で使うことは、あまり制度イメージにはなかった」し、「制度要綱であるため運用の世界で取り組みやすかったこと」、また各町の基盤整備への取り組み意向が強かったことを第一に上げておられる。
 ようは、想定外の制度を持ってきたことで、却って要望に合わせて柔軟に対応できたという事だろう。


 また、マスコミの注目度が低く、対立があおられることもなく、住民も行政も平常心で取り組めたこと、震災前から行政、コンサルタント、住民がいい関係があった地区で特に成果を示しているとしている。

続く