松原隆一郎『日本経済論〜「国際競争力」という幻想』


 松原隆一郎さんと言えば、僕たちの世界では『失われた景観』で知られた方だ。東京大学工学部都市工学科を卒業し、その後、経済学に転進された。


 出版された2002年当時は、景観法の制定が視野に入りつつあったこともあり、話題になった。出版したPHPの謳い文句は「異色の社会経済論」。景観を経済学者論じること自体が、まだ珍しいことだった。


 その松原さんが『「国際競争力」という幻想』という副題がついた新書を書かれていたので、読んでみた。

この本の三つの主張

 この本の大きな柱は三つだと思う。


 一つ目は小泉構造改革を円安を誘導することで輸出企業を偏重した重商主義だとし、リーマンショック後の円の正常化により、もはやこの路線はあり得ないとしている点。


 二つ目は、民主党は、小泉構造改革へのアンチと官僚への不審から、直接国民にお金をばらまこうとしているが、経済政策としても、社会の安定のためにも役立たないとしている点。


 そして三つ目は、公共部門の極端な切りつめが人々を自己防衛に走らせているのだから、安心の復活と、人と人の結びつきの再生に役立つ公共投資こそ急務だとされている点だ。


 副題に関連しているのは第一の点だ。
 賃金をおさえ、身を削るような努力をして輸出競争力をつけても、その努力が円高になったら吹っ飛んでしまう。国内の金利をゼロにして、アメリカの国債を買うように仕向けることで円安を誘導しても、長期的に不自然な状態は続かない。ましてアメリカは背に腹は替えられないとドル安を容認、ないし奨励してきている。


 競争力を付けることは個々の企業にとっては大事だが、マクロにみれば競争力の強化はさらなる円高を呼び、さらにもう一回頑張れば、またまた円高が来る。これでは、いつまで経っても「賃下げと身を削るような努力」が続く。
 まるで神の怒りにふれ、大岩を頂上まで押し上げては、必ず転がり落ちる大岩を、明日もまた押し上げる苦行で罰せられる「シューシュポスの神話」のようだ。
 これでは日本経済の将来像とはなり得ない。


 第二点については松原さんの主張に共感できるところも多い。
 また第三点、医療や輸入食糧のチェックなどで、官僚たたきと行政改革が必要なマンパワーに不足を生じるほどの人員カットが不安を招いているという指摘も同感だ。

では、どうするのか!?

 最近、経済学でもモノの時代を過ぎると経済の成長は人々の幸福感にはつながらないと言われている。なんでも新規なモノ、高価なモノに人は最初こそ感激するが、やがて慣れてしまって満足感が麻痺し、かえってそれを失ったときの苦痛に怯えるのだそうだ(駄田井正、新評論、2011.2参照)。


 松原さんは今日の状況を語られる際に「格差と内戦」(p45〜)という見出をつけておられるが、それはセンセーショナルにすぎるとしても、アメリカの後押しを受け、政治改革だ!構造改革だ!と邁進してきたこの二十年の結果、日本の社会は連帯の精神も進取の気性も希薄となり、明日への不安に怯え縮こまっているのかもしれない。


 だが松原さんも「農業に曳かれる人々」(p56〜)で指摘しているように、そんななかでも、農村において、あるいは農村と都市の交流において、脱近代の新しい価値観が生まれつつある。


 それは僕たちが『「農」と「食」のフロンティア―中山間地域から元気を学ぶ』(関満博)、『アグリ・コミュニティビジネス〜農山村力×交流力でつむぐ幸せな社会』(大和田順子)で紹介しているところでもある。


 このあたりにも「カネではなく人のつながりを」へ、そしてそうした時代を先導する「人の結びつきの再生に役立つ公共投資」のヒントがありそうに思うのだが、実際にどうするのか、もう一歩踏み込んでもらいたかった。


(おわり)


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松原隆一郎失われた景観―戦後日本が築いたもの (PHP新書)


関満博「農」と「食」のフロンティア―中山間地域から元気を学ぶ


大和田順子『<アグリ・コミュニティビジネスアグリ・コミュニティビジネス〜農山村力×交流力でつむぐ幸せな社会』