長坂泰之『中心市街地・活性化のツボ』(5)

 昨日、予告したように草稿に紹介されている事例から幾つか紹介しよう。

誰も助けてくれないから自分たちでする

 これは中心市街地ではなく京都府丹後半島の付け根にある京丹後市(旧大宮町)にある常吉村営百貨店という事例だ。
 「地域の住民が諦めずにそして誰にも頼らずに、日本一小さな「百貨店」、常吉村営百貨店を作ってしまった」「その取り組みは、実は商業機能の復活だけにとどまらず、地域の茶の間を作って地域住民の交流を促進したり、地域の高齢者の生きがいを作り出したり、「外貨」を稼ぐ仕組みを作ったり、さらには体験学習などを始めて地域外からの交流人口を増やしたりするなど、元気の出る「村」にしてしまった。何もなくても諦めなければ元気な「村」ができるのだ。いや何もなくはなかった。唯一そこには「すばらしい人」がいた」。


 その人が大木満和さん。
 常吉に生まれ、村づくり委員会で村民の意識改革に取り組んでいた常吉さんたちを襲ったのは、地区で食料品を扱う唯一の店だった農協支所の閉鎖だった。


 村をあげての反対運動が行われているなかで、あるとき大木さんは考え直したという。「いくら反対しても農協の意向は覆りそうもない。ならば、この場所を借りて自分たちの店を作ればいいじゃないか。ピンチじゃない。ピンチはチャンスと思うべきだ」。


 こうして常吉さんは百貨店構想を提案し、村民の出資を募る。
 そして「仲間たちとも議論を重ねて、店のコンセプトを決めた。「農業と暮らしを柱にし、地域活性化の拠点にしよう。リスクを抑えるために、設備投資にカネがかかる加工品事業は行わない。よろずやに徹し、地元の農産物や手作りの特産品の販売にも力を入れよう」」。


 3000品目以上の商品が並び、ないものは取り寄せ、お年寄りへの宅配サービスも行い、地域の井戸端会議の場所ともなって百貨店は順調だった。だが10年目に再び危機が襲う。原油の高騰による不況だ。そのとき大木さんは常吉村営百貨店通信で、呼びかけた。


 「再度皆様の協力が必要です。何か『常吉村営百貨店』に出来ることお伝え下さいませんか。常吉のこの地で生活するために必要なこと『常吉村営百貨店』にできることはありませんか」。


「すると、一人暮らしのおばあさんから手紙が寄せられた。「店をやめたら食べていけない。何とか続けてくれないか。私一人で言ったところで無理だとはわかっている。でも続けて欲しい」と綴られていた」。


 仲間と相談し、「翌日から、経費を抑えるために、当面パートを除きスタッフは全員ボランティアの態勢で臨んだ」。経費を見なおし、宅配サービスを撤廃し、高齢者の生産する農作物の販売に力を入れた。
 その甲斐あって業績は黒字に転じたという。


 「「誰も助けてくれない」と諦めるのではなく、「じゃあ自分たちでやろう」という発想の転換、諦めない気持ちが素晴らしい」。


 大木さんたちは体験プログラムにも取り組み交流を促進している。その案内はがきには、「わたしたちは常吉に生まれ、常吉に育てられてきました。子供たちが誇れる故郷でありたいと願っています」そして、「こぼれる笑顔といっしょにあなたのふるさとに逢いに帰って来ませんか?」。


 こんな凄い話がごろごろ転がっている訳ではないのだろうが、やっぱり農山村は凄い。

続く


横森豊雄・久場清弘・長坂泰之『失敗に学ぶ中心市街地活性化―英国のコンパクトなまちづくりと日本の先進事例