古池嘉和『地域の産業・文化と観光まちづくり』出版(2)

**池上惇さんへのインタビュー〜商品化とは〜


 古池嘉和さんは池上惇さんに、そうは言っても観光が商品として市場で取り引きされている以上、価格による価値付けが進むのではないかとと尋ねている。


 池上さんは「契約当事者の主体を問う必要がある」「安価で売買するという価値の視点で活用すれば文化資源を駄目にする場合もあるが、文化的な良さを活かしながら「創造的な価値を享受する場」を形成するということであるならば、積極的な意味を持つ」とされる。


 「商品化を前提として、客をもてなす志を持ち、そのための知恵をだしあい、人間自体がしっかりして職人労働をになう人格への成長が大事」「創造の成果を評価できる消費者の存在を視野に入れる」、このため「人を育てつつ、交流していくことになろう」と言うわけだ。


 商品という言葉をまちづくりに持ち込むことには、反発が根強い。西村幸夫さんのグループと財団法人交通公社(JTBF)のグループで『観光まちづくり』という本をつくったときも、論争があった。


 JTBFからすれば旅行を商品として捉えるのは当たり前中の当たり前。それが気に入らないという点が理解できないのだが、まちづくりを身上している西村さんたちには、まちづくりを語るときに商品という言葉が出てくること自体が受け入れにくい。まして地域を商品化していくという発想は許し難いとなる。


 似たような話で、音楽の話が京都市市長広報誌『きょうとシティグラフ』に載っていた。


 門川市長が京都市交響楽団の常任指揮者、広上淳一さんと対談しているのだが、そのなかで広上さんは初めて京都市交響楽団を指揮したときを振り返りながら、「どれほどの腕前かと若造を試すような空気で、駆け出しだった私(広上)は終始冷や汗をかいて緊張しっぱなしだった」「当時はどこのオーケストラも「自分たちは芸術家で特別な存在」というような雰囲気がありました」。でも「社会経済状況が世界的に厳しくなる中で、音楽家が聴かせてさしあげましょうという意識で音楽ができる時代ではなくなる」。


 だから常任指揮者に招かれたとき「楽団員と共有したかったのは感謝の気持ち」「すなわち京都市民の皆様が半世紀以上にわたって京響を支えてくれたこと、そして演奏会に足を運んでくださることへの深い感謝です。今、楽団員一人一人がそういう気持ちを真摯に持ってくれています」という。


 そんなこんなで、今では演奏終了後に楽団員がお客様をお見送りするといったことも行われるようになったという。

 また、定期会員との交流会をするとか、芸術高校や大学との共同演奏会をするとか、ジュニアオーケストラの指導にあたるとか、全国唯一の自治体所有のオーケストラとして市民のオーケストラのあり方を模索している。
 しかし、同時に、観客動員数という市場での評価も常に問われているし、現にこんな時代に上向きを維持しているのは偉い。


 音楽も、観光における地域も、ストレートに商品と言われると寂しい気もするが、誰も来てくれなくては維持できない。
 いや、来てくれなくてもよいのだが、それなら、仲間内で楽しむ、自身の生活を楽しむことで満足しているべきで、お客さんに来て欲しいとは言うべきではないだろう。


 その点、どういう質の客をもてるか、育てられるかが大切という池上さんの言葉は、奥が深いと思う。


(おわり)


○関連情報
古池嘉和(2011.01.14、京都)
http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1101koike/index.htm


古池嘉和氏インタビュー
http://www.gakugei-pub.jp/chosya/010koike/index.htm


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古池嘉和著『地域の産業・文化と観光まちづくり―創造性を育むツーリズム


西村幸夫編著『観光まちづくり―まち自慢からはじまる地域マネジメント