『地域開発』「リニア中央新幹線と地域開発」

 今月号の『地域開発』の特集はリニア新幹線だ。


 ちょうど東北新幹線が1971年の着工から約40年をへて全線開通した時に、35年後の完成を目指すリニア新幹線を取り上げるのは、なかなか洒落ている。
 そのうえ中央新幹線の基本計画が策定されたのは1973年だというから、なんと完成まで70年以上もかけることになる。土木は国家百年の計というが、まさに遠大な計画だ。


 ところが、最近は過去の10年の変化が1年で起こると言われている。それはウソだろう、大げさな、と思うが、1970年からの変化と、これから2045年までの変化と、どちらが大きく、本質的だろうか?と考えると、やっぱりこれからの変化の方が大きいのではないだろうか。


 1970年頃と言えば、列島改造論に沸いていたころだ。開発が光り輝いていた時代。土木が国家だった時代だ。その後、いろいろあったが、本当の変化が起こったのは、つい最近のことで、それもまだ正体が見えないという感じがする。


 そんな時に、今までのノリで遠大な計画をたて、膨大な投資をして良いものだろうか。
 『地域開発』に寄せられた論考は、多数の賛成意見はもちろん、唯一の反対意見も含めて、従来パターンのような気がしてならない。


 まず最初に浮かぶ疑問は、東北新幹線が開通する一方で、在来線が自治体に放り投げられサービスの維持や安定的な存続が危ぶまれるが、同様のことが、東海道線や在来新幹線に起きないだろうか。
 人口は減るのに、それを埋め合わせるほど一人あたりの移動量が増えなければ、在来新幹線の収支がもつかどうか、とりわけ今後必要とされる大規模修繕に耐えられるのかどうか、不安だ。


 そこまでいかなくても、地域エゴで言えば、おそらく「のぞみ」はなくなり、京都・名古屋間は、静岡のように「ひかり」「こだま」しか止まらず、走らずという状態になるだろう。乗り換えを考えればたいして便利になるとは思えないし、おそらく東京へいく値段はあがり、京都はそのアクセスの優位性を失い、大阪都市圏への依存を高めてしまうだろう。


 ただ、これも従来の延長上での危惧にしか過ぎないような気がする。
 たとえば、環境制約やエネルギー危機が深刻化したら、鉄道の役割はもっと大きくなるだろうが、それが超高速のリニアへの集中投資なのだろうか。
 そんな時代に145分で結ばれている東京・大阪間を70分に半減することに、そんなに大きな意味があるのかどうか?。
 多少低速でも大量に、きめ細かく輸送できたり、貨物にも対応できたりということが大切になるかもしれない。


 特集のなかで森地茂さんは7、8000万人の巨大な経済圏が生まれると強調されているが、開業から5年後の2050年には日本全体で1億825万人と予測されているから、なんとその三分の二が一つの経済圏となってしまうということだ。
 これって凄すぎるというか、超巨大信奉というか、ちょっと近づきたくない世界ではないだろうか。
 ました、その巨大な経済圏が、たった三箇所の点を中心に形成されるとなれば、なおさらだ。


 ともあれ、残念なことに、そんな先に僕は生きていないだろう。
 まずはJRから放り出された青い森鉄道がこけないことを祈ろう。