藻谷浩介「丸一日・中心市街地活性化塾」(3)



 藻谷さんの講演は次の三つに分かれていた。


  第1部 衰退は景気のせいではない
  第2部 デフレを活かした活性化の原因療法
  第3部 地価低下時代のまちづくりと、その担い手


 1部、2部では昨日と一昨日に紹介したように「中心市街地とは何か」「その意味は」「衰退の原因は」「その原因を見据えた療法は」といったお話しが続く。


 そのなかで、「お金がなくても元気な街」として高知市が、「お金があっても元気がない街」として刈谷市が紹介されている。


 高知の人は「衰退してしまった」と嘆いているそうだが、高知市には日曜市もあり、ひろめ市場もあり、商店街にも人出がある。
 藻谷さんが講演に呼ばれ、「高知は例外中の例外だ。よその町を見てくれ」と言って大津や浜松の写真を紹介したと言う。よその町の惨状を高知の人に紹介して見せると、一瞬仰天されるのだそうだが、すぐ忘れて、「いやいや、高知はやっぱり不況で」と言い出すのだという。


 それはともかく、巨大な商店街型フードコートであると同時に、巨大なチャレンジショップとなっている「ひろめ市場」だが、その底地は民都市開発推進機構が持っている。もてあまして安く土地を貸しており、そこに駐車場を建設、経営している大旺建設が、これまた安くテナントに貸しているのだそうだ。


 だから面白いお店が入る。デフレ時代だからこそのまちづくりの典型とも言える。

 同時に、特筆すべきは、様々なまちづくりの優れもの、英雄たちが幸運に恵まれて立ち上げた事業なのだが、彼らが退いたとき、大旺建設の普通のサラリーマンが常識的な感覚で運営することで持続しているという点だという。


 ともすれば、まちづくりの物語は英雄物語になりがちだが、「金勘定もあるギトギトとした世界ながら、みんなでなんとか支えようという現実的な話しになって、天才はいなくなったけど普通の人間が運営できるシステムに切り替わっていった」という指摘が興味深い。


 そういえば、藻谷さんの話しにも出てくる長浜では笹原司朗さんが、村上では吉川真嗣さんが観光カリスマになっている。カリスマってのは、要するに呪術力や啓示力や英雄性に対する崇拝によって、人々に帰依と服従を求める支配者のことだ。だからまちづくりのカリスマとなれば、もう、宗教かペテンかという感じなのだが、まあ日本語は乱れに乱れているから目くじらを立てることもないのだろう。


 が、カリスマという言葉に、普通の人にはとても真似できない、という感じがつきまとうのは間違いない。


 だが、まちづくりが当たり前のものになっていくためには、藻谷さんが指摘するように神話から小説へ、天才から普通人へという物語の質の転換がそろそろ必要なのだと思う。


 そういえば、藻谷さんの講演の最後の話題は、ホームレス支援に取り組む若者からの「ボランティアではなく、仕事にしないと続かない」というちょっと悲愴な質問から始まった。


 それにたいして、藻谷さんは一七〇〜一八〇人ぐらいの雇用を生んだ「NPO自立支援センターふるさとの会」を紹介した。


 そのリーダーの水田さんは「こんなたくさんのホームレスが世の中にあふれているのに、自分たちの自己満足のためのちまちました活動では、とても対処できない。だから、事業化して雇用を増やして若い人たちを雇って、もっと広げたいという意識が明快にある」という。


 水田さんは人権活動家で、しかも事業マインドがある方とのことで、カリスマ的な人なのかもしれないが、組織の作り方は、だいぶ変わってきている。伸びる普通の会社に似てきているように見える。


 事業の仕組みも、高齢・障害・孤立・認知症という四重苦の人たちにグループホームを提供し、そのかわり生活保護を受けてもらって、そのお金で運営するというもの。介護保険をつかうと、重装備を要求されるので、一切使っていないという。


 「持ち主がグループホーム向けに改装してくれたら、あとは我われが家賃保障付きで借り上げて運営する」というスキームだが、その確実性が評価され、グループホームへの不信も実績で解消していくことで、なんとか不動産を活用したい地域の人たちから、多数の相談が寄せられている。


 これもまた、神話から小説への一場面なのかもしれない。



○執筆中の藻谷さんへメッセージを!
 本セミナーをベースとした原稿を、現在、校正頂いています。
 校正中の藻谷さんへの激励のメッセージは下記から。


 「丸一日・中心市街地活性化塾・藻谷さんにメッセージを!