波頭亮『成熟日本への進路』(2)

社会保障市場メカニズムの両立

 高福祉になり、負担率が高くなると、馬鹿らしくて誰も一生懸命働かなくなるという人がいる。
 たしかに誰もが「24時間、戦っています」みたいな社会ではなくなるだろうが、だからといってサボリまくるかというと、そうではない。高福祉の北欧諸国が高い生産性と所得を誇っていることは周知の事実だ。
 では、日本はどうすれば良いのか。
 著者は、教育への投資と、解雇の自由化を徹底的に推し進めるべきだと主張する。
 教育への投資は異論が少ないだろう。どんな教育に?という点では百家争鳴だろうが、先進国のなかで最下位というような国に誰がいつの間にしてしまったのだ!。


 では解雇の自由化はどうか。著者は高福祉だからこそ自由経済にできると主張する。今のように、解雇された労働者が路頭に迷うようでは、首切りする経営者は鬼か悪魔かと言わざるを得ないが、首を切られても国家が生活を保障してくれるなら、何も気にすることはない。企業は効率性を求めて自由に雇用を伸縮できるというわけだ。


 実際、雇用の自由度の高いデンマークは、アメリカとともに生産性を向上させているのに対して、自由度が低いフランス、ドイツ、日本は低下させてしまっているという。

著者は転向したという言うけれど

 以上、感想や私見を交えながら、『成熟日本への進路』の内容を紹介してきた。本はこのあと官僚機構の改革を論じているが、ひとまず紹介を終えて、まとめてみたい。


 著者は戦略系コンサルトの第一人者。市場に任せておけば世の中ハッピーになると信じていたが、昨今、転向したという人の一人だ。


 ただ、転向したのは前提条件が成長から成熟に変わったからであって、その結果、社会がどうあるべきかについての考え方が180度変わったのだという。


 別に転向は悪いことではないし、何十年たっても考え方が変わらない人は少ないだろう。
 ただ、この本の場合、市場経済への信仰は著者自身が強調しているように、相変わらずだ。


 だから、分かち合いは国民の間でなされるべきだとされ、その国民には企業は含まれていない。
 首切りは自由、ただし首を切られた人の生活は国家が支えるというのは一見格好良いが、これって企業が好き放題をするための条件を、国家国民が支えることに他ならない。


 確かに企業の構成員は人間であり、国民だ。
 だから法人税は安くても、企業からの配当や給与等にかかる税金で貢献するというのも考え方だろう。

 しかし波頭さんは、所得税には目もくれず、消費税や資産課税、相続税ばかりを強調される。
 それぞれに応分の負担増があることは反対ではないが、企業や資本には有利な話ばかりではないか。


 ちなみに金融商品への資産課税も、その副次的な効果は、より有利な利率を求めての投資市場への資産の移転にあるという書かれている。


 企業や資本だって社会から大きな恩恵を受けている。まして首切りを自由にして欲しいなら、首を切られた人の生活保障は企業社会が率先して負担すべきだろう。保険でも儲かっているときに積んでおく税金でも、自己責任の取りようはいくらでもあるはずだ。


 にも関わらず、国境を自由に行き来できる企業や資本は、いつでも逃げ出せるという理由から、負担を求められない。土着の、国を離れられない国民だけが負担増が求められる。


 どの国に逃げてもそれなりの負担が求められるという良識が制度化されないかぎり、企業や資本に社会への貢献を求めるのは無理なのだろうか。

(おわり)