太田肇『「見せかけの勤勉」の正体』(2)
成果主義が成り立つのは単純労働の世界?
とはいえ、もう少し余計なことに気を取られることをセーブできたら、もっとチャカチャカ仕事は進むだろう。
だが、これは本人だから分かることであって、外から見抜くのは容易ではないだろうと思う。まして、単にダラダラしているのか、閃きをもとめてダラダラしているのかなんて、分かるものか。
これは極端な例だとしても、たとえば、編集のなかでは比較的分かりやすい作図といった仕事でも、誰が本当に手早いのか、数値で見極めるのは難しい。
なぜなら、作っている物一点一点が違うからだ。
出来上がってみれば似たような図版でも、著者の下書きが汚かったり、赤字が多かったりすると、数倍の時間がかかってしまって当たり前と言うこともある。
また作った本が売れようが売れまいが、それは作図やレイアウトをした人の能力や意欲が足りなかったからだろうか。
あるいは上司から薦められて進めた企画が売れなかったら、誰の責任なのだろう。
こう考えていくと、成果主義が成り立つのは、ごく単純な生産の場合と、社長業のようにどんなに遊んでいても黒字ならOK。何を言い訳しようとも赤字で給料を払えないでは失格といった結果責任の世界だということに気づく。
経営の流行の行方
著者は経営学の人なので、こういう無理な成果主義、それがもたらす「やる気主義」の氾濫に警鐘を鳴らし、本当のやる気は「やらされ感」を取り払い、仕事や会社を自分のものと感じられる「所有感」から生まれると説く。
そのなかで管理職の役目は、管理をするというより、部下の仕事の障害を取り除き、目一杯活躍できるようにすることだと強調している。
特に管理に熱中するのは愚の骨頂とし、むしろ、プレイヤーでありマネージャーであるような片手間での管理を薦めている。
書かれていることには共感できることも多いし、まちづくりの参加論や政治学で繰り返されている議論と重なる点も多い。
そういう意味では、世界の大きな流れと合致した方向だろうし、成果主義の失敗でとまどっている日本の経営者は、今度はこういう方向に一斉に走るのかもしれない。
だが、経営が流行を追っていては、働く者はたまらない。
ところで、この本のなかに、とんでもない例が載っていた。退職のホントの理由は「上司や先輩から認めて貰えなかった」といった人間関係にある。それは若手に限らず、「職場でのコミュニケーション不足や親しく話せる相手がいないことを理由に辞めていく人は中高年にも多数いる。それを逆手にとって、辞めさせたい社員がいるときは周りの社員に口をきかせないように仕向ける、陰湿きわまりない会社もある」のだそうだ。
もう少ししっかりしろよ、日本の経営者!。