『人口減少時代における土地利用計画―都市周辺部の持続可能性を探る』(2)


 ここからは『人口減少時代における土地利用計画』から幾つかの章を紹介しよう。

青森市からコンパクティティのこれまでとこれから」(海道清信)

 まず海道さんの青森のコンパクティの考察を紹介しよう。
 ここでは、戦略を振り返りながら、推進派市長の敗因も考察している。


 掻い摘んで言えば、第一にアウガの赤字はなど、中心市街地活性化への投資が、効果よりも負担が大きいと思われてしまったこと。第二に専門家やマスコミの議論ではコンパクトシティは賛成が多いが、インターネット等の世論では、地方は郊外の切り捨てだと評判が悪いこと、第三に2005年に住民の反対の声を押しきって合併した旧浪岡町の存在も影響したのではないかと推測されている(p120)。


 そして「三層構造による中心市街地の活性化と郊外の市街地の拡大の抑制は成長期における都市のコンパクト化には有効であった。しかし今後の都市縮小期にはミドルやアウター部分での市街地再編を計画的に進めないと、「コンパクトシティは郊外や農山村の切り捨て」という批判が現実になってくる恐れが強い」(p121、122)。そして「多段階のセンター構成によって日常生活圏を構成するというモデルを併せて検討する必要がある」と提言されている。


 言われみればその通りだし、郊外の安定が重要だとは、2006年に出した上記の『中心市街地活性化三法とまちづくり』でも、北原啓司さんが郊外から街なかに転出したあと、郊外のお家の売却が思うように進んでおらず、そのまま廃墟になる可能性があると警鐘を鳴らしておられる(同書「コンパクトシティと街なか居住」p136)。


 また、青森では当時街なかにマンションが増えたことが評価されていたのだが、果たして居住の質をともなっているのか、コンパクトシティが単に都市の形態を小さくすることだけではなく、都市的ライフをコンパクトに享受可能な選択肢を用意する点に意味があるとされている(p138)。


 青森市は幸いそのような戦略を堅持したうえで施策を展開しているとされていたが(p138)、それは甘い評価だったのかもしれない。
 海道さんによれば郊外の世帯主が50歳以上の住宅や空き家へのファミリー層の入居への支援が、いま検討されているという。


 それにしても、計画というものの受け止め方が、都市計画の人と一般の人では違うのが不幸の原因のようにも思える。都市計画の人は、日本の都市計画の現状を知っているから、コンパクトシティをうたっても、5年や10年でそうなるとは思っていないだろうが、一般の人にとっては、違う。特にそれが争点になりマスコミに取り上げられると、明日にも変わるような不安を掻き立てられたのではないか。


 また魅力のない町なかの商店街ばかり支援することには、疑問もあっただろう。いかに頑張っていても、魅力があり、愛着が持たれていないと、政争の具になったときは弱い。

「郊外住宅地の維持更新の条件と取り組み方策」(勝又済)

 8章では勝又さんが郊外住宅地の維持更新の条件を考察されている。
 掻い摘んで紹介すると、その条件は(1)交通利便性、(2)住宅地としての魅力、(3)居住性と住環境の両立だという。


 (3)は「建て替えに際して相隣環境や地区の居住環境を悪化させることなく、ファミリー世帯が日常生活に十分な床面積(100〜120m2)を確保できる敷地面積があること、そしてそれを可能にする建築規制がかけられていること」だという(p60、( )内はp61)。
 具体的には敷地面積80m2未満では、3階建てにしないと上記面積が確保できず、多くの場合、相隣環境を壊してしまう。
 逆に160m2程度と大きな郊外住宅地では敷地分割規制や共同住宅の規制が、土地活用を制約することがあるという。


 では(1)〜(3)の条件を欠いている住宅地はどうすれば良いのか。これも三つ上げられている。


 第一は交通利便性を高めること。確かに自力でコミュニティバスを走らせている団地などもあるが、普通は行政の支援が欠かせない。


 第二は住宅地としての魅力を高めること。
 これには街並環境整備事業が使える。ただし住民がまちづくり協定を締結することが条件なので、住民の気運が高い地区に限られる。僕は、どこもかしこも手を挙げだしたら、お金が何時まで続くか疑問だと思う。


 面白いのは空き家の増加を逆手にとった試みだ。
 たとえば長崎市では、土地・建物を市に寄付できること、従後の維持管理を地域住民が行うことを条件に、防災上危険になっている空き家を公費で除却しオープンスペースの整備を行っているという。


 これについては放棄された家屋や土地が増えてきたらどうするか、という議論にも繋がる。9月8日に書いた「山崎義人さんと嘉名光市さんによるアメリカの事例の紹介」や9月9日平山洋介『不完全都市〜神戸・ニューヨーク・ベルリン』の紹介を参照して欲しい。


 そして第三は住環境を保全・改善しながら居住性を高めること。
 たとえば80m2に満たない敷地の場合、空き家になったら隣の人が買い取れれば倍の160m2になる。現実には売りたい人と買いたい人がマッチすることは少ないので、これを公的に支援するというものだ。


 これは9月8日の後半で紹介した大方潤一郎さんの主張とも近い。大方さん流に言えば、アメリカの郊外住宅地の標準的な最低敷地規模は910m2なのだから、80m2の敷地なら、10軒中9戸が空き家になっても、最低敷地規模にしかならない。それなりの公的な支えをしつつ25年間をかけて転換すればよい。心配するな、と言われる。


 一方、勝又さんは先にも触れたように小場瀬さんと小林さんの研究を引きながら、160m2程度と大きい郊外住宅地では、むしろ二戸一住宅や周辺に配慮したデザインの共同住宅は認めるべきだとも書かれている。


 そういった要望が切実な場所もあるのだろうから一概には言えないが、人口が減って、需要が減退してくるからどうしようかと議論しているときに、少し矛盾を感じる。
 昔、日端康雄先生の『ミクロの都市計画』という本を作らせていただいたが、四面に樹木が茂るには100坪以上必要で、二面の庭に樹木が茂り一戸建ての良さがぎりぎり生きるには210平米が必要であり、側面を諦めても160〜170m2は必要で、このあたりが一戸建てと連続建ての臨界密度だとされていた(p153)。


 贅沢を言えば四面に樹木が茂る100坪以上はないと、郊外に住む意味ってないのじゃないだろうか。
 だいいち、市場原理に従えば、そのうち値崩れして160m2でも普通に手に入る値段になるはずだし、ならなければおかしい。


 規制を緩和して、その地区の問題を一時的に解決できたとしても、たとえば隣に160m2で頑張っている街があれば迷惑だろうし、ちょっと時間が経てば、無理に2戸1を建てても市場価値を維持できなくなってしまうのではないだろうか。


 とはいえ、そんな都市計画の教科書みたいな話をしても、現実の市場では160m2では高くなりすぎるのだろうし、また80m2以上あってうまくデザインされた戸建なら満足というユーザーが多いのだろうから、規制緩和の要望が出るのも頷ける。


 地元の要望に沿ったまちづくりと、長期的、広域的なあるべき姿との兼ね合いが難しそうだ。縮退時代の都市計画は困難な決断を迫られることになるのだろう。


 きれい事で終わってしまいがちな人口減少時代への提案・提言のなかで、矛盾に満ちた現場に即して書かれている点に敬意を表したい。

続く


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川上光彦・浦山益郎・飯田直彦+土地利用研究会 編著『人口減少時代における土地利用計画―都市周辺部の持続可能性を探る