コミュニティ・ビジネスとは(特報(3))
さて、昨日、イギリスの例をあげての定義では日本に馴染まないと言ったが、なぜか。
それは、もっとも肝心な「コミュニティが設立・所有し、運営を行う経済組織」に相当する考えが日本にはないからだ。
石井和平氏はスコットランドでこの考え方が成り立つのは、1ポンドを出せば地域サービスを行う社会的企業の出資者になれる、あるいは公的部門の弱体化で、そういった社会的企業がなくては生活が成り立たないという違いがあるからだと指摘している(石井和平「地域ベースの社会的企業論」『商学討究』2010.3)。
だからこそ、日本型と石井氏が呼ぶ細内さんのコミュニティ・ビジネスのとらえ方に現実味があるわけだ。
では、それはどういうものか。
細内さんは「コミュニティ・ビジネスとは、地域コミュニティを基点にして、住民が主体となり、顔の見える関係のなかで営まれる事業をいう。またコミュニティ・ビジネスは、地域コミュニティで眠っていた労働力、ノウハウ、原材料、技術などの資源を生かし、地域住民が主体となって自発的に地域の問題に取り組み、やがてビジネスとして成立させていく、コミュニティの元気づくりを目的とした事業活動のこと」だという。
なるほどと思える定義だが、これは新しいビジネスなのだろうか。
たとえば今、人気のゲゲゲの女房、最近、貧乏神が消え去りパワーダウンだが、それはともかく、ゲゲの女房、布美枝が東京にでてきたとき、心の支えになった貸本屋・こみち書房はコミュニティ・ビジネスではないのだろうか。
こみち書房の女主人・田中美智子は、捕まえたひったくり犯に仕事を与えたり、田舎から1人働きに出てきた工員・太一を暖かく包み込んでもいた。
これは物語であり、幻想なのかもしれないが、タバコ屋のおばちゃんも、商店街のお店も、「住民が主体となり、顔の見える関係のなかで営まれる事業」であることには違いない。
細内さんは、その点、「コミュニティ・ビジネスの領域」で柔軟に説明している。
コミュニティ・ビジネスはNPOや市民事業といった新しい形ばかりではなく、従来の言葉で言えば零細企業であり、ときには協同組合や自治会であるとしている。
まったく新しい形態もありうるし、やり方もありうるが、昔からのものでも良い物は否定しない。むしろ大切にする。そういう姿勢でありたい。
むしろ、こみち書房のような昔ながらのお店や商売、工場が少なくなり、ビジネスを通した人の繋がりが地域から消えていこうとしている時代だからこそ、あえてコミュニティ・ビジネスと呼んで意義づけ、旗を振らなければならないということなのだと僕は思う。