知的書評合戦ビブリオバトル
1ヶ月ほど前、7月13日の読売新聞夕刊に「本屋ネット対抗作戦」という記事が載っていた。
本をアマゾン等のネットで購入する人が2割を超え、電子書籍の本格化を前に、リアル書店の危機が囁かれる今、実在の店舗の魅力を発揮しようとの試みだという。
面白いのは、知的書評合戦ビブリオバトル。
約70人の観客を前に、学生が演台で1人5分、自分だけが知る良書を語るのだという。
3年前、京大生が仲間内ではじめ、ブログ等で評判になって、今回、大阪の紀伊国屋が店内で開いたそうだ。
本が売れなくなった理由の一つに、本が話題にならなくなったことがある。
今時の若い人たちは本を話題にしない。ほんとに困ったものだ。僕たちが大学生の頃は、喫茶店で友達と本の話に熱中した・・・という記憶は実はあまりない。
かっこをつけて輪読会とかはやった。そういうときは、少なくとも、サルトルぐらいは読んでないとみっともない。おっ、今度は吉本隆明で来たか、といった事はあった。思いかえせば、単に無理していただけかも。本当に楽しめたのかどうか、知的興奮を味わったのかどうか、疑問だが、まあ、そんな文化が少しはあった。
映画もそうだった。
数カ月前に学友の一周忌があったが、そのとき、シネフロントという同人誌を見せられた。なくなった学友をはじめ、熱く映画を語っている。とんと記憶はないのだが、僕も協力者に名前が載っていた。
そういえば仏文の山田稔先生にインタビューに行った。確か梁山泊だった。風の又三郎のポスターがかっこよかったっけ。
まあ、そういう文化のなかに本も確かにあったのだ。
知的書評合戦が面白いのかどうか、実際に行ったわけではないので分からないし、少し大げさな感じもする。
だが、そういう生の体験を書店が仕掛けているのは、生の体験の復権という意味で、とても良いと思う。
僕たちがいま力を入れている著者の講演会「学芸セミナー」も、著者と読者と出版社との関係性を実感できることに最大の意味が求めている。
アマゾンも電子書籍も本には違いないし、実は結構アマゾン依存症になっているので悪口は言いがたいのだが、結構どんな本でもすぐに手に入る時代だからこそ、逆説的に拘りが薄くなっているように思える。誰もが世界にすぐにアクセスできる時代だから、かえって似たり寄ったりのものに均質化し、多様な関心が失われていっているような気がする。それが「本を読む」というしちめんどうくさい行為を遠ざけているように思う。
だからこそ、生身のコミュニケーションが生み出す、多様な豊穣な世界が大事だと思う。
じゃあ、それで本が盛り返せるのかと言われると、先は見えない。
好きだからやっていくんだとしか言いようがないが、若い人はそれじゃまずいよなあ〜。