室田昌子「ドイツの地域再生戦略」セミナーを終えて


 室田昌子さんの「ドイツの地域再生戦略 コミュニティマネージメント」セミナーが50名の参加を得て無事に終わった。一部交通機関が不通になるなど、天候不順のなか足を運んでくれた皆さんに感謝。帰りの足が心配で直前キャンセルが多かった2次会も、当日になって参加してくださった人も多く、なんとかお店に迷惑をかけずにすんだ。良かった。感謝。

 セミナーのなかで印象深かった点をいくつか報告しよう。
 全体の報告は学芸の公式HPをみて欲しい。

コミュニティ・マネージメントの評価

 日本もこの十年、評価ばやりで、その書類を作ることが仕事の半分を占めると、ある大学の学部長に聞いたことがある。なんか馬鹿げていると思う。
 同様の議論がドイツにもあるそうで、評価実施の労力を考慮し、実質的で効果的な評価方法を模索しているそうだ。


 そのなかで重視されているのが、自己評価だという。
 厳密にやると評価自体にものすごい労力がかかる。だから効果的な方法により評価し、自助努力で改善することがより重要との考え方だという。
 印象としては、頑張っていますか?チェックリストのような感じだ。


 室田さんによれば特に質的なプロセス分析が重視されているという。これには「統合性に関する評価」と「調整や協力体制に関する評価」があり、後者には「継続性の確保に関する評価」や「住民の活性化」といった項目もある。


 まず「統合性に関する評価」には、たとえばインフラ基盤の利用統合性という項目がある。これは道路、公園だけではなく、集会所などハード全体に及ぶ評価なのだそうだが、集会所をいくつ作ったかといった評価でもなく、単にどれだけ使われたかといった評価でもない。
 いろんな人たちが利用方法をどれだけ考えたかが評価の対象となるという。
 親子での利用は考えたか、高齢者の利用はどうか。
 たとえば、地区内で高齢者の健康促進プログラムがあるのに、主催者が地区センターの利用を考えていないといったことがないか。移民の交流や語学研修があるのに、地区センターを使う予定がないとすれば、何故か(p.165)。


 また目標集団に対する統合性という評価項目では、高齢者がその目標集団だとすると、生活上の問題、住宅の問題、安全性や所得の問題、あるいは職業を見つけたいなど、高齢者が抱えるあらゆる問題に対して、あらゆる方面から応えているかが問われる。
 住宅問題には応えたが、就業支援をしていなかったら、それは統合的とは言えないという(p166)。
 また地区の資源や力が動員されているか。健康であれば、それを得意としている集団がアプローチしたり、考えたり、有限会社をつくっているか。
 このようになんでも福祉ではなく、一種のビジネスとしてやるという両側面がある。それらが考えられているか。


 「調整や協力体制に関する評価」の一つ、「ローカルパートナーシップの構築」では、地区内にあるありとあらゆる市民団体と、どの程度、実際に仕事をしたかどうか、仕事の仕方が以前と比べてかわったか、単に一緒にやったではなくて、どんなコミュニケーションをもったかが問われるという。


 総じて実態把握と分析に重きをおいた評価であり、どのように実行したか、どのような状況になり体制ができたかを把握するためのプロセス分析である。これによりプランづくり、実施方法や進め方、組織体制についての改善点を見いだすのだという(p164)

日本の評価との違い

 室田さんは、日本のまちづくり交付金の評価では、住民満足度評価をしている例をよく見かけるという。


 これはドイツの社会都市の考え方とは全く違う。ドイツでは住民は満足させられる側ではなく、住民がどれだけ関わるようになったか、やる気を出したか、どんな役割を果たせるようになったかを評価している。
 日本のやり方では、どれだけ満足させられれば気が済むのかということになりかねないし、だいいち、お金がなくなったら終わりで、継続性がない。サスティナブル・コミュニティとは言えない。自助努力で再生を目指せる体制ができているかが問われるのだそうだ。


 これは大事なポイントだ。
 NPMは住民を顧客と見なしてサービスの効率性と質を競う。企業がお客様満足度を競い、そこから利益を上げようとするのとおなじ発想だ。お客様は神様ですということになっているが、お客様が自分で製品をつくったり、修理するようになって、買ってくれなくなっては元も子もない。
 だからNPMの市民を顧客と見なし、行政をサービスとみなす発想には、根本的な欠陥があると思う。

自立とはなにか

 社会都市は10年間の時限プロジェクトであり、社会都市終了後もコミュニティ・マネジメントを維持・継続できるような状況が形成できたか問われる。前述の評価でも、「継続性の確保」や「住民の活性化」が問われている。


 ここで大切なことは、地域が自立できたかを問われているわけではないことだ。
 質疑応答でも最初にソーラー産業の育生のために大きなお金を使った事業で、果たして地区が自立したのか、雇用が充足したのかと突っ込まれていたが、僕は回答もふくめ話が混乱していたように感じた。


 社会都市の目的は、困難な状況に地区が自ら挑戦していく力をつけることであって、それには各種の補助金を獲得し、効果的に使っていくことも否定されないのではないか。
 日本でも地方の自立が言われているが、東京あたりの声は、地方がいつまでも公共事業や交付金だよりでは困る、早く自立して面倒をかけないようにして欲しいという前提があるように思える。
 それは筋違いだ。
 東京だけではなく大都市は田舎に多くの物を負っているし、また成功した産業、人びとも、敗北した産業、人びとに負うところは大きい。
 障害者自立支援法をめぐっても同様の議論があった。その言葉の曖昧さ、誤解されやすさから自立ではなく自律だという人もいる。
 もちろん政府が丸抱えするようなことは不可能だし望ましくもない。だから自律(自立)が求められるのだが、その正確な意味をもっと考える必要があると思う。



○講演会記録
http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1007muro/index.htm


○ブログでの本の紹介
http://d.hatena.ne.jp/MaedaYu/20100604/


○アマゾンリンク
室田昌子著『ドイツの地域再生戦略 コミュニティマネージメント