ジャック・アタリ『21世紀の歴史』

「超帝国」「超紛争」


 アタリはこの本で、世界を飲み込もうとしている市場民主主義は、国家の弱体化させ、「超帝国」、その裏返しとしての「超紛争」を招くという。その破滅的事態から脱出するすべが「超民主主義」であると説く。


 アタリは市場は民主主義とともにあったと言う。しかし、市場の民主主義は高額納税者だけが選挙権をもっているようなもので、効率的だが社会を分裂させ、不安定にする。だから、1人1票の民主主義と相補うことで、社会の分裂を押しとどめなければならない。そのバランスが必要だ。
 ところが資本はもちろん、いまでは労働も国境を越えたのに、国家は相変わらず国境に縛られている。いわばグローバル化した市場に対抗するグローバルな民主主義の不在が、破滅をもたらすということらしい。


 そうなる前になんとかすれば良いと思うのだが、よほど無茶苦茶な事態、もう全滅しかないみたいな状態にならないと、人は目覚めないというのがアタリさんの認識のようだ。
 僕が死んでしまってか理想郷ができても意味がない。それでは困る。

誰が超民主主義を担うのか

 アタリは「以前は農民であった人びとは、経済的に恵まれた層とともに、人びとの生活に関して非常に具体的な変革要求を掲げながら、社会的・政治的に新しい潮流を巻き起こす推進者となる(p.164)」と書いている。
 おっ!、無産階級と知識人の連帯の再登場かと期待したのだが、超民主主義の担い手として注目されるのは後者、すなわち超帝国のエリート階級、クリエイター階級の一部や、その意を体現した〈調和重視型企業〉だという。


 また「特に地方において、ユビキタスノマド・テクノロジーや超監視テクノロジーを用いて、参加型の民主主義を発展させていく必要がある。・・・参加型の民主主義によって市民は自らの共同体に統合できると同時に、共同体にたいして誠実でいられる。市民こそが21世紀の歴史において、フランスに最高の地位を見いだす手段を付与するのだ」としている。


 ここでユビキタスノマド・テクノロジーとは、IphonとかIpadなどが進化して身体に埋め込まれ、センサーやコントローラーの役割も果たす物らしい(p.200)。そうしたセンサーで、保険会社はこの客は「タバコを吸っていないか」など常に監視できるようになる。


 そんなものが、どうして参加型の民主主義に必要なのか、僕にはさっぱり分からない。

本は無料になるか?

 ところで巻末の「21世紀を読み解くキーワード集」に「蓄積された時間」「生きた時間」という項目がある。そこでは「唯一解決されない希少性とは時間であることから、〈蓄積された時間〉の市場価値は下がり、〈生きた時間〉の市場価値は高まる。よって蓄積された時間である映画、音楽ファイル・本などは無料になる一方で、演劇、ライブ・コンサート、講演会は有料となる」と書かれている。


 ようは複製か、本物かという議論だが、「講演会」が本物だというのは、講演料で儲けている(に違いない)著者の我田引水にすぎるのでは?。


 確かに「メジャーレーベルのCDの販売総額は、すでに10年前を下回り、・・・有料音楽配信サービスの試みもすでに失敗に終わっている(p.129)」。一方で、ライブは減っていないと聞く。だから本の本物性とは何かを考えているのだが、僕はまだ見つけられない。


 なお5月17日に紹介した『金融危機後の世界』は、本書の続編である。


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ジャック・アタリ (著), 林 昌宏 (翻訳) 『21世紀の歴史――未来の人類から見た世界